生い立ち

6/6
前へ
/505ページ
次へ
その後、アタシは高校時代の友人からの紹介で志度(さぬき市)にある鋼板製造工場に就職をしましたが、雇用保険の期間が終了したのを機に、各地を放浪していました。 工場をやめたアタシは、香川県や徳島県や関西の各地を転々として生活していました。 伊丹のリノリューム工場に再就職をした時に、二番目のカレと知り合いまして、再び同棲生活をしていました。 しかし、カレのギャンブル癖がひどかったことなどが原因で、同棲生活は破綻してしまいました。 アタシは、36か37の時に鳴門で結婚をして、ダンナとダンナの母親の3人で同居していました。 しかし、深刻な嫁姑間の対立が原因で結婚生活は破綻しました。 二度目の今治の時も、深刻な嫁姑間の対立が原因で結婚生活が破綻しました。 三度目の由宇(山口県)の時は男ばかりのきょうだいの家の末っ子のダンナの次兄さん夫婦がアタシがバイトをしていた岩国のフジグランをやめさせたことに腹を立ててドカバキの大ゲンカになったこととダンナが合コンで知り合った女性をダンナが傷つけた事件が原因で女性の父親とドカバキの大ゲンカをしたあげくに、ダンナの父親と次兄さんにも暴力をふるってしまったので、結婚生活は破綻しました。 四度目の奈良の時は、ダンナの連れ子の深刻な問題でダンナともめて結婚生活が破綻しましたし、五度目の福岡の時にはダンナのオドシに屈して再婚したけど、そこでももめ事を起こして結婚生活が破綻したので、アタシは結婚することには向かない女でありました。 そんなアタシは、48の時に医師から乳ガンを宣告されましたが、アタシは治療を拒否しまして残りの人生を過ごしたあと、生涯を閉じました。 白い雪におおわれた四国カルストの雪原で眠っている間に、アタシはひとりぼっちで亡くなりました。
/505ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加