監察日誌:山上と新人

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***     デスクで、昨日の書類の整理をしていたら、いつものようにコーヒーカップを手にした山上が、ひょっこりと現れた。  俺の一睨みも何のその、何事もなかったように、応接セットの椅子に格好良く腰かける。 「お前、昨日忠告したのを忘れたのか?」  声のトーンを落とし、唸るように言った俺の顔を、明らかに眠そうな表情で見る。 「関……想ってるだけじゃ、気持ちは伝わらないんだぞ」 「伝えるだけならいいさ。だがな、お前のやった行為は何だ?」    俺は下がってもいない眼鏡をクイッとかけ直し、山上を睨んでやった。 「……だって、水野が可愛かったんだ。しょうがないじゃないか」 「バカかっ! お前のやったことは犯罪なんだ。セクハラレベルは、越えてるんだからな」  怒り任せに、拳をデスクにガンガン打ちつけてやる。せっかく整理した書類が、めちゃくちゃになってしまった。 「分かってる……。でも抑えきれなかったんだ。水野が好き過ぎて、暴走した……」  暴走するほど人を好きになったことがないから、正直分からん。  俺は頬杖をついて、山上を見た。首をもたげたまま、床をじっと見ている。 「あんなにキズついた顔して、怯えさせるんなら、手を出さなきゃ良かった……」 「今更、後悔しても遅いぞ。俺なら配置換えの申請して、お前とおさらばするわ」 「なっ……!」 「だって、そうだろ。自分を手込めにした相手と、仲良く仕事なんて出来ないね。配置換えを申請するか、転職するかの二択だろう」  ため息をつき眉根を寄せて、後悔しまくりの山上の顔を見ながら、両腕を組む。 「水野は、関とは違う……」 「まったく。あのな嫌々捜査一課に無理矢理来させられ、お前の仕事の尻拭いをさせられてるところに、突然蹂躙されたんだ。逃げ出すに決まってるだろう?」 「だんだん、言葉がキツくなってる。僕を苦しませたいのか?」  山上は額に右手を当て、うんざりした表情で俺を凝視する。 「これくらいで弱音を吐くな。水野くんはその倍、苦しんでるんだからな」 「じゃあ聞くけど、関は好きなヤツが出来たら、どうやってアタックするんだよ? まさか原稿用紙に、愛の言葉を書き連ねる、なぁんてことをしないよな?」  糠に釘――俺の言葉に反省の色ナシか。いつも通りだけど…… 「どうしてそこに、原稿用紙が出てくるんだ。そんなモノ使うかバカ」  俺は眼鏡を外して、目頭を押さえた。山上の話は基本面白いが、時々ついていけないときがある。 「じゃあ、どうするんだよ?」  立ち上がり俺のデスクに歩み寄ると、両手をついて、じっと顔を見つめた山上。眼鏡を外したまま、少し困った表情をした俺。色恋沙汰の話は、正直なところ得意ではない。 「何もしない。ただ――」 「ただ?」  山上は不思議そうな顔をして、食い入るように見つめる。 「見てるだけ、だな……」  そう言うと、顔をえらく引きつらせた。 「へぇ。見てるだけなら、何も始まらないじゃないか」 「そんなことはない。自然と目が合う回数が増えると、向こうが勝手に意識し出して、その内やって来る」 「そんな都合良く、奇跡のようなことが起こるなんて、関のその目は何か、特殊なモノで出来ているのか?」  強引に俺の顎を掴み、顔を上げさせると息がかかるくらい近くに顔を寄せて、じっと目を見つめてきた。 「近いぞ、山上」  端正な顔が間近にあり、迫力満点である。 「その目を交換して水野を見たら、落とせるのかな……」  独り言のようにポツリと呟く。交換してって、お前―― 「でもな水野のヤツってば、超絶鈍いから、きっと分からないだろうなぁ。僕の恋は不毛だ」 「いい加減にしろっ!」  俺は顎を掴んでいる手をバシッと払って、素早く眼鏡をかけた。 「自業自得の結果だ。潔く諦めろ」 「関、僕は諦めが悪い方なんだよ。だから始末に負えない……」  悲壮感漂わせるその姿に、俺はどうしていいか分からないでいた。手助けしてやりたいのは、山々なんだが…… 「しっかし意外だったな。関ってば、超奥手だったとは。てっきり交渉術なんか使ってさ、ズバズバ相手のことを誉め殺しして、愛の言葉を囁いた挙げ句、ヤルことやりそうなタイプだと思ってたのに」  わざと明るく喋り出す。  俺が難しい顔をして何かを考える前に、重い空気を払拭すべく、話題転換した山上。いらない気、遣いやがって…… 「予想を裏切るのが、得意なんでね」 「勿体無いヤツ。そういう意外なところが、モテる秘訣なのに」  そう言って、持参したコーヒーをあおるように飲み干す。 「眼鏡を外した関の目って、すごく綺麗だった。綺麗だから尚更、キズつきやすいのかもって、さ」 「山上……?」 「俺はお前みたいに繊細じゃないから、その大丈夫だから。頑張るわ……」    以前告げたセリフを何故か口にしてから、寂しげに背を向けて出て行く後ろ姿にむかって、落ち込むなと言葉をかけられなかった。  愛に飢えている山上に、俺は何もしてやれない。力不足の自分に嫌気がさして、ぎゅっと両手に拳を作ったのだった。
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