春待ち歌

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帽子を深く被り、マフラーを巻いた。 背中を丸め、ポケットに手を突っ込む。 「寒いな」って笑うと、 「冬だからね、雪が降って寒いんだよ」 さっき僕が部屋で言ったことを返された。 駅に続く商店街を歩いた。平日の午後だというのに、シャッターを閉めている店が目立つ。 よせばいいのに、道端の雪を手に取り雪玉を作る。 少し距離を取り、僕に投げつけて逃げ出す。 追いかけ、駅前の交差点の信号待ちで捕まえた。 風が吹いた。 「何かいい匂いがするね」 「するね」 信号が変わるとまた咲が走り出す。 駅のロータリー脇の花壇の前でしゃがみ、僕に手招きをする。 「この匂い?」 「うん」 「白くて花みたいなところがあるでしょ?」 「これって『花弁』じゃなくて『がく』なんだよ」 「へぇ、何て言うの?この花」 「秋に金木犀が咲いて、春が近づくとこの花が…」 「…で、名前は?」 「…忘れた」 「忘れたのかよ…」 やっぱりこうして笑っていた方が楽しいに決まっている。 直ぐに卒業式があった。それからの1ヶ月は、グズグズすることもなく普段通りに過ごせた。 出発の日の前日、突っ掛かってきた咲と少しだけ喧嘩をした。
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