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愛日
耳にアラームの激しい音が届く。同時に僕の意識は薄れていく。
機械を運ぶ音、足音。慌ただしい声がする。大人数が部屋に押しかけているようだ。
そう、何となく想像はつく。
僕はもうすぐ旅立つのだ。
オルゴールが止まりかけるように、心臓の音は次第にゆっくりとなっていく。
右手は強く握られた。握り返す力は残っていない。
「あなた」
僕は声のする方に残りの意識を集中させる。黒一色の中で一筋の光が見えた。
最初に映ったのは、皺だらけの顔を、涙でいっぱいにした白髪の女性だった。
綺麗だ。
そう思った時、僕の両目に再び光が宿り、懐かしい視覚が戻っていることに気づいた。
その女性の声と、柔らかい肌の感触と、匂いですぐに妻だとわかった。
名もない蜘蛛の魔法がまだ生きていた。
これ以上の満足があるだろうか。最愛の人の顔を見て最期を迎えられる、これ以上の望みがあるだろうか。
視界が滲んでいく。
本当に、君の瞳は涙脆い。
いくつもの温かい雫が次々と頬を伝っていく。
僕は幸福に包まれながら、彩光を瞳に閉じ込めて永い眠りについた。
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