第1部

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<御用の方は呼鈴を>  タデウシュ氏に出会った小さな画廊には、そのとき誰もいなかった。店主の姿は見当たらず、入口の机には銀の呼鈴と、素気ない説明書きがあるばかりだった。なぜそんな不案内な画廊に入る気になったのか、あなたは覚えてない。単なる気まぐれだったのかもしれない。 あなたは呼鈴を鳴らすことなく入室して順々に画を見てまわった。どれも風景画で、画題や作者を説明する札は留められておらず、ただ画だけがそこに飾られている。夜の画廊はとても静かだった。ただあなたの靴音だけが寂しく室内に響き渡る。 靴音、靴音、靴音、靴音、靴音、……。 不思議と足が重たく感じられ、その靴音にさえも♭の音色が伴う。そうして奥へ奥へと歩みを進めていくと――ふと、そこに人影があるのに気づいて足を止めた。枯葉色の外套に身を包んだその人物は、壁際に飾られた風景画を熱心に眺めている。あなたはその後ろ姿に見覚えがあるような気がした。 知り合いだろうか?  しばらくその後ろ姿を注視した。しかし何も思い出せなかった。せめて顔を見ることができれば、と思い、その人物が振り返るのを待つ。しかし、一向に彼はその風景画の前から離れようとしないのだった。  それは夕暮れの田園の画である。 昼と夜とが溶け合う夕空の配色が美しく、あなたはそこに郷愁を感じた。この枯葉色の紳士も自分と同じ郷愁をこの画から感じているのだろうか――と注意を再びその後ろ姿に戻す。紳士はその場を微動だにしない。まるで石のようだった。まるで石のようだなと感心していると、徐に紳士が歩き始めるのでおやと思った。そのまま前へ進めば、数歩で画にぶつかるはずだった。しかしそうはならずに、その枯葉色の後ろ姿が額縁のなかに縮小するのを目にして、あなたはいよいよ怪訝に思う。一瞬の出来事だった。目を凝らすと夕暮れの田園風景に、先刻まで目の前にあったはずの枯葉色がある。凝視した。画のなかに吸い込まれた枯葉色の紳士は、田園を抜けて暗い森のなかへ歩いて行くところだった。つまり彼は画のなかに入ってしまったのだ。 ――夜の画廊はとても静かだった。静寂が耳に痛いほどだった。
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