第2部

12/25
前へ
/25ページ
次へ
 その言葉のとおり、翌日から唐突に始まったタデウシュ氏の奇妙な演劇は実に徹底したものだった。氏は事前に当日分の台本をあなたに手渡し、「この台本は朝までにできる限り暗記し、台詞はすべて正確に発話すること。指定した台詞以外のことは一言も喋らないこと。その日の台本は、その日のうちに焼却すること」等を厳しく言いつけた。そして鞄ひとつ持たずに旅立ってしまったのである。台本は朝の部、昼の部、夜の部の三構成で、とても丸暗記できる分量ではなく、演劇が開始した当初は台本を隠し見ながらでなければとても間に合わなかった。それにも関わらず、邸の人々は台本を見る素振りを見せず、完璧に台本の進行に従うので、すこし気味が悪いと感じた。そもそも、劇が開始する前に邸の人々と顔合わせするわけでもなく、何の挨拶も無いままにこうした生活が始まったので、何とも急なことである。  初日――タデウシュ氏の寝台で目を覚ましたあなたは、まだ半信半疑だった。本当に台本どおりにこれから半年間、生活を続けるのだろうか。案外、邸の使用人たちは主人の奇行に眉を顰めていて、「馬鹿げている。そんなことをする必要はありませんよ」と笑って答えるかもしれないではないか。と、そうした疑いはすぐに晴れることになる。台本に記されたとおりの時刻に寝室の扉を叩く音がして、台本に記されたとおり「旦那様、朝でございます」という声がしたからだ。そして猫のような眼をした男が入室した。「おはようございます」、その所作は実に自然である。 「朝食をお持ちしました。本日の予定ですが、13時に調律師が訪れることになっております」 「そうか。すぐに済むという話だったが」  あなたは台本を横目に応えた。 「長引くようなら来週にまた来てもらおう」 「かしこまりました」 「下がってよろしい」 「失礼します」  男が退室する際、あなたは曖昧に目配せしてみた。今後の演劇生活における共犯者めいた意味合いを含むものだったのだが、男は一瞬だけそれに気づいたものの、わけがわからないといった風で、ちょっと首を傾げてから深々とお辞儀して室を出ていった。  釈然としない思いであなたは寝台に腰かける。分厚い台本を繰ると、今日一日に予定された場面が次々と目に飛び込んできた。  
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加