逃避行

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午前2時を回って店のシャッターを閉める。 いつの間にやら雨が振り出している。今日は終電に間に合いそうもない。 すると後ろから声がした。 「お店・・・・終わりですか?」 よく知った、懐かしい声。聞きたくてたまらなかった声。 振り向くと大きな青年が立っていた。しとしと降り出した雨の中に傘もささずに佇んでいる。 「裕輔・・・」 「すごく探した・・・会いたかった」 震える様な声・・・愛おしい。 「ずぶ濡れじゃないか・・・店の中に入れよ」 胸の高鳴りを隠しながらシャッターをもう一度開ける。 ぬれ鼠になった青年に奥からバスタオルを投げてやった。 「良く拭け!、風邪引くぞ」 「せっかく会って・・・言うのはそれだけ?」 裕輔の言葉一つ一つに内心、心臓が破れそうになる。 彼はカウンターの真ん中の席に静かに座った。 「なんで・・・居なくなったの?」 そんな言葉を投げないでくれ・・・胸が締め付けられる。 「お客様、ご注文は・・・・?」 こんな言葉しか口から出てこない。 「マスターのお任せで」 カウンターで手を組んでそのまま俯いた。 自分も黙ってカクテルを手慣れた風に作って行く。 本当は手が震えているのが自分でも分かる。隙のない動作をしているように見えるのは見掛けだけだ。 本当はさっきから手が重くて思う様に動かない。 「お待たせしました。セレブレーションです」 「記事・・・見てくれたの?」 「おめでとうございます。研究者として偉業を成し遂げられたので・・・私からのお祝いをこめて」 「じゃあ、一緒に乾杯してくれますか?」 「はい」 使ったシャンパンをそのままグラスに注いだ。 ピンクの色のカクテルがきれいだ・・・・一緒に乾杯できるなんて。 夢のようだ。いや、夢ではないのか? あまりに願い過ぎで寝ぼけているんじゃないだろうか? グラスがいい音を奏でる。そして二人で酒を傾けた。 喉を鳴らす音がしてポソリと一言呟いた。 「おいしい・・・」 「良かった。おめでとう」 「みんなアンタのおかげだよ・・・でもここ半年、どんだけ探したと思うの?」
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