第1話

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日本人だ・・・・・。 その遠ざかる背中を見つめてみたけど、彼は振り返らなかった。 でもあんな素敵な人が日本人だったことがすごく嬉しくて、その日私は彼のスケッチを急いで描き上げた。久しぶりに、ちょっと興奮していた。 煙草を手にしたそのひとのスケッチをラーラはとても気に入ってくれて、早速入口の絵は取り替えられた。 『ナギのボーイフレンド?』と聞かれて、頭をぶんぶん振って否定したけれど、我ながらそのひとの絵はとてもよく描けた、と思った。 題名をつけるなら、「憂い」かな。「哀しみ」かな。と考えて、スケッチブックの中に何枚も描いた彼が、1枚も笑っていないことに気づいた。 あんな素敵な青空と爽やかな風の中、彼は1度も微笑まなかった。 笑顔も見たかったな。そんなことをぼんやり考えていた。 本当に学校の課題が間に合わなくなり、しばらくバイトは休まざるを得なくなった。やっと課題を仕上げて提出した日、少し休みたかったけれど、日本からのツアー客の予約が入っていたのを思い出して、アルカーデに向かった。 最近、たまにこういうツアーがある。ミラノのトラットリアで地元の料理を楽しもう!みたいな企画らしい。日本人がいると親しみを感じるらしく、よく説明に駆り出された。と言っても簡単に料理を説明して、ワインをデキャンタに移して、あとは一緒に写真に納まるくらいで良い。 日本からの旅行客は、回りの空気を読みつつ楽しんでくれるし、きちんと話も聞いてくれるので楽しい仕事だった。 画学生だという私の身の上を聞いて、こっそりチップを握らせてくれるお客さまもいた。 笑顔を振りまいて料理の説明を終わらせ、スタッフルームでひと息ついた私をバイト仲間のマルコが呼びに来たのは、それからしばらくした時だった。 『日本人がナギに用事だって。入口のとこ』そう言ってウィンクしたマルコはすごい美青年だけど、ゲイだ。だからどちらかというと女友達に近い。 質問や注文も指名されることが多いので、ワインかな、と思いつつ入口まで行き、日本人を探す。 ・・・・・・ん? 振り返ってマルコに、誰? というサインを送ると、彼は私のすぐ前にいたスーツ姿の背中を指さした。 あれ・・・?観光客じゃないんだ・・・? でもこの店は近くに日本企業の支店も多いから、日本のビジネスマンも少なくない。 私は恐る恐る声をかけた。
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