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「あの・・・・お待たせしました。お呼びでしょうか・・・・?」
ほんの少し、間があった。
「この絵は・・・・俺?」
私のスケッチを指さしながら振り返った彼は、まさしくあの時の、あのひとだった。
「え・・・・・あ・・・・・」
まるで金魚のように口をぱくぱくさせる私に、彼は不審そうな目を向け、
「俺・・・ナギ・・・さんに会ったこと・・・あったっけ・・・?」
とつぶやいた。
この間は髪もまとめてなくて、しかも私服だったせいで学生さんかな?と思っていたけど、こうしてスーツ姿を見ると、まるでスーツ専門店のモデルのようだ。
首をかしげる彼に、震える声で言った。何だろう・・・すごく怖い。
「いえ・・・あの・・・こ、この前・・・スフォルツェスコ城で・・・お見かけして」
「スフォル・・・ツェスコ城・・・?ああ、あの・・・博物館の・・・?」
「そうです。・・・あの・・・勝手に描いてしまって、申し訳ありませんでした!」
眉間に皺の寄った彼の表情は、まさしく怒っている感じだったので、とりあえず謝ることにして頭を下げた。
「いや。別に怒っているわけじゃないよ」
「え・・・・・・?」
見上げた私の目に、少し困ったような彼の表情が映る。そんな顔はやはり、どこか幼く見えた。
「会社の上司に、お前の絵が飾ってあるって言われて、見に来たんだ。まさかと思って。モデルになった覚え、なかったし」
「はい、すみません・・・・」
「本当に俺だったら・・・・この絵、はずしてくれる?」
え?と思って顔を上げた私に、
「恥ずかしくて、ご飯、食べに来られないだろ?それにこの絵は、3割増しくらいでイイ男に描けてる」
彼はそう言って、口元に拳をあてながら可笑しそうに笑った。
あ、笑顔だ。
私はその瞬間、初めて見たその笑顔に囚われていた。笑うんだ、こんな笑顔で。
なんだか、泣きたいような気持ちになった。良かった、笑ってくれた。と意味もなく考えて、私はとても嬉しくなった。
彼はひとしきり笑うと、私のスケッチの隅の「nagi」というサインを見ながら、
「何・・・ナギさん・・・?」と聞いた。
「か・・・笠原・・・凪です」
「凪って・・・あの・・・海の?」
頷きながら、美しく微笑むその顔を半ばうっとりと見つめている私に、彼は名刺をくれた。
「よろしくね。凪ちゃん」
にっこり笑った彼の表情に励まされるように、私は思わず口走っていた。
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