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<航目線>
念願のミラノ勤務に就いて2ヶ月が過ぎようとしていた。季節は夏に向かい、爽やかな風が吹いている。休みに部屋に籠っているのもどうかと思い、慣れるためにもなるべく街を歩くことにしていた。
今日は有名な大聖堂に登り、ガレリア(まあアーケードみたいなもんか)を冷やかして、このお城までやってきた。中は博物館になっていると同僚に教えてもらっていたけど、何となく気分じゃなくて庭園に足を向けた。
ぼんやりと橋の手すりにもたれていると、また煙草が吸いたくなる。何も考えたくないのだと心が言っている気がして、最近また手離せなくなっていた。
ゆっくりと煙を吐いていると、携帯電話の音に気づいてディスプレイも確認せずにボタンを押した。どんだけ人恋しいんだろうか。俺。
「もしもし・・・・先輩。今良いですか・・・・?」
しまった。こいつだったか。と俺は後悔しながら歩き出した。
「稲葉・・・・・お前」
そう呼んでから、そういえば最近こいつはもう稲葉じゃなくなったんだ、と気づいた。
「先輩・・・ミラノ勤務って本当ですか?・・・しかもだいぶ前から」
「・・・関係ないだろ・・・お前に」
「関係あります。何で教えてくれないんですか?」
「だから、関係ないだろ。お前に」
「だから、ありますって。なんでお見送りもさせてくれないんですか?」
電話口で泣きそうになっている稲葉の顔が浮かんだ。テレビ電話でなくて本当に良かった。さすがの俺も表情に出てる。
「お前が心配するのは俺じゃないだろ。もう、かけてくるな」
できるだけ冷たく言って、何か言おうとした稲葉の声を終わらせた。
だから女は嫌いだ。デリカシーがない。俺がどんな気持ちでお前をあきらめたと思ってるんだ。頼むからこんな、湖に石を投げるような真似はやめてくれ。静かになっただけでまだ湖は凍りついてない。
俺は立ち止まって煙草をくわえた。ほら、また止められなくなったじゃないか。今通りすぎてきた城の長い城壁を振り返って、俺はため息をついた。
翌週、外出先から帰ってくると、上司のダニエラがにっこり笑って言った。
『ワタルって、煙草吸うのね。今まで見たことないけど』
『え?いや、吸いませんけど』
人前では吸わないことにしていた。特に海外では。
ダニエラは俺の返事を聞くことなく、さらに笑った。
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