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やはり会ったことはないはずだ。斉藤ではないが一度見たら、忘れられなくなりそうな瞳だ。
彼女は泣きそうな顔で、スフォルツェスコ城で見かけた、と言った。ああ、あの、稲葉から電話かかってきた時か。確かに煙草吸ってたな。
またあの時の、何とも言えない苦い気持ちを思い出した。俺はそれを振り切るように言った。
「いや。別に怒ってるわけじゃないよ」
普通の顔してても、怒ってるの?とよく言われる。俺はできるだけ明るく、軽めに振る舞うことにした。目の前の女の子を怯えさせないために。
ちょっと冗談で誤魔化すと彼女は、少し安心したみたいに表情を和らげた。
名前は、「笠原凪」だと言った。
穏やかな、静かな海だ。
俺は名刺を渡して、
「よろしくね。凪ちゃん」
と言った。
彼女は絵を取り替えたら、また来てくれるか?と聞いた。
「いいよ」
何故だろう。この子に対しては、とても優しくなれるような気がしていた。そして俺はそんな自分がけっこう嫌いじゃない。
斉藤のいる席に戻りながら、俺は機嫌の良い自分を、ちょっともて余していた。背中に彼女の暖かな視線を感じた。
うん、まあ悪くない。
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