第1話

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第1章…番茶  紗江子が精神安定剤に手を出しそうになるのは、たいてい木曜日の深夜2時ころだ。月2回の「ロゼッタ会」の定例会の段取りを考えているうちに、寝そびれてしまうのである。取り柄がないのに、エリート連中との付き合いをしなければならない。眠れない理由を一言で言うと、この一点につきる。 こんな時、チャールズ皇太子と自分を重ね合わせて、溜息をつくのである。きっと彼も田舎でのんびりと、公務など関係のない生活をしたかったにちがいない。私だってそうだ。やさしい父も母も夫も二人の娘も大好きだけど、このセレブな生活だけは、好きになれない。 「ママ、番茶よ。」眠れない母親を心配して、13歳になる長女の美有(みあ)がガラスの器にノンカフェインの番茶を入れて持ってきてくれた。 「ごめんね。明日早いからもう寝なさいね。」美有は有名私立中学校に見事合格し、6年間通っている英会話スクールでも優秀な成績を修めている。将来はキャビンアテンダントになりたいらしい。なれる可能性は高いと思う。 夫である直樹は、病院勤務の外科医で、本当に絵にかいたようなエリート一家である。 しかも、全員が善良な人々なのだ。 唯一、まだ先のことが未確定なのは、保育園の年中である美緒ぐらいのものだ。隣で寝息を立てている美緒の顔をそっと撫ぜながら「あなたは平凡でいいのよ。」とつぶやいた。 紗江子はもう一度、明日の定例会のタイムスケジュールに目を通し、漏れがないかチェックした。これは自分の仕事でないことはわかっているが、すべてを把握していないと、不安でたまらないのだ。他のメンバーとの会話についていけない時の恐怖が、常に紗江子を支配している。誰も紗江子を見下げたりするものはいないのだが。 翌朝、コンシーラーで念入りにクマを消して、勝負服…というよりはお守りのスーツに手を通した。これを着ないと、失敗すると思い込んでいて、初秋の会合には決まってこれを選ぶ。近しい友人は「他にもレパートリーを増やしたら?」とさりげなく忠告してくれるのだが、これ以外に着る勇気もないし、第一買い物は一番の苦手である。セレクトショップなど、恐ろしくて出入りできない。このオリーブ色のスーツも、モールで店員がいないすきに試着もしないでレジに持っていったものである。幸いサイズはぴったりだった。買い物も、食事会も楽しめない。
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