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あいつは見るからに華奢で、体力がないことに引け目を感じていたことを、知っている。
プロになってからしばらくは、毎試合、吐きながらプレーをしていた。
はっきり言って、あいつ、プロに向いていないんじゃないかって思った。
オフの期間中、俺の地元に誘ったのも、ちょっと休めや、ってことだったんだけど、
今思うと、かなり上からの目線だったような気もする。
こっちへきて、しばらく釣りにはまった。
涼は勘がいいというか、やり方を教えて勝手にさせておくだけで、すぐにコツを覚えやがった。
「俺、こっちに転向したほうがよくねえ?」なんて言って、毎日、海に出かけたんだ。
軽いノリでへらへらそんなことやっているあいつにあきれたけど、妙にほっともしていた。
俺はプロになったのはいいけど、ベンチにも入れてもらえないところでもたもたしていて、
でも、涼はとっくにフィールドデビューしていたのだ。
そんなあいつに、すこし休めって言った俺はいやな奴だ。
そのすきに追い付いてやれ、って気持ちが正直、なくはなかった。
あいつはあのブレイク期間を、どうやって乗り切ったのだろう。
ようやく後半から出してもらった試合で、涼と真っ向からあたった。
俺は右サイドのDF、涼は左サイドのMFだから、真っ向からあたることはわかっていたけど、
実際にプレーしてみてあいつのスピードに度肝を抜かれた。
全然、ついていけない。
腰を低く落として、一気に脇を抜ける。
ボールは俺の股を抜けていった。
そのまま、ワントップの選手に渡して、ワンタッチでゴール。
忍者か。
悔しかったけど、すげえなって言いたくて、終わった後に涼に会いに行った。
涼はロッカールームにいなかった。同期の奴に聞いたら「便所じゃねえかな」と言う。
なにも考えずに便所に行ったら個室がふさがっていた。
「なんだよ、でけえのしてんのか」って、笑って声をかけようとしたら、えずく声が聞こえた。
咳き込んで、また、えずく。
あえぎ声。のどの奥からなにかをしぼりだすような、声。
「ちく、しょう」
聞いちゃいけない声を、聞いた。
「いつものことだから。そのうち出てくるよ」と、立ちすくむ俺に「便所にいる」って言った奴が、
さらっと声をかけてきた。
それで試合が終わった後は必ず、ハーフタイムのときも、涼は吐いていることを知ったのだ。
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