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あ、そうだ、まじであと、うちによってサインしてってくんねかな。色紙、買っとかんと」
「え、俺の?」
「島のおっちゃんらは野球しか見んけど、俺らの周り、サッカー狂しかおらんけ。みゆきのプレー、話すと熱いよ?」
「スピードが遅いとか?」
「読みがいいってよ」
俺はそう褒められても、あんまり嬉しくなかった。遅いから、読むしかない。
それもプロにしては遅くて、抜かれる。考えてちゃだめだし、考えないとだめ。
「遅い」って評価は致命的な気がする。プロはすべてが速い。涼みたいに。
俺はフラッシュバックみたいに浮かぶたくさんの重要な試合で抜かれてゴールされたイメージに、のまれそうになる。
「今度、飲み会来んか。みんな、喜ぶけえ」
松崎はサッカーのことを普通の奴よりは、ずっと知っている。
そう言ってくれるのも、なぐさめだけでなくて、本当に思っているのだろう。
すげえよ、みゆき。地元の誇り。がんばれよ。今度、試合見に行くから。
「やべえ、そろそろアポの時間じゃし」
松崎はあわただしく立ちあがり、そばに置いていたらしい自転車にまたがった。
俺は馬鹿みたいに、松崎のやはり外人ぽい胴体が太いわりに細くて長い脚を、ぽかんと眺めた。
松崎は器用に堤防の上を、自転車に乗って全速力で走っていく。
「すげえなあ」と、自分で言ったつもりの声が、誰かと重なって、飛び上がった。副音声か? と振り向くと、堤防の階段のところで隠れるようにして、涼がいた。
「り、涼!?」
裏返った声をあわてて、押さえられる。
「馬鹿やろ」
「あ、お忍び」
「王子か! 違うわ。ほら」と指差した先は、放っておいた釣竿だ。
竿先が動いていた。
俺は滅多にないことにうろたえて、リールをどっちに回していいかすらもわからなくなって、
「反対」と涼に口パクとジェスチャーで怒られながら、ようやく一匹目をつりあげた。
わりに大きなキスだ。
「これなら天ぷらじゃなくて、そのまま刺身にできそう」
涼はバケツに入った活きのいいキスを、楽しげに眺めている。
俺は久々の手ごたえと、目の前の涼の登場に混乱して、
次の餌をつけもせず、バケツと涼をかわるがわる見ていた。
「次の用意」
「てか……さっき、テレビ、五日後、試合」
「文章になってない」
「ええと」
「言いたいことはわかるけど。釣れる時を逃したら、次はない。ほれ、餌」
涼の言われるままに、餌をつけ、竿を放る。
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