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夏が始まろうとしていた。
菱川祐介は学校から家へと続く長い坂道を朦朧とした意識の中懸命に登っていた。
「死にそう」
額からは大量の汗が流れ落ち、着ていたポロシャツの首のところがにじんでいた。
やっとの思いで坂を登りきった。
時間にしておよそ20分ってところか、と汗を持っていたタオルでぬぐいながら祐介は思った。
今にも倒れそうな雰囲気で家の扉の前まで来た。「ただいま」
家には誰もいなかった。テーブルの上には朝食を食べた後の食器類がそのまま置いてある。
祐介はマグカップを手に取り、水で少しゆすいでから牛乳をついで一気飲みした。
親父は6時になるまで帰って来ないので、それまでに僕が飯の支度をしなければならない。
今日は特に暑いから冷しゃぶにするか、と材料を準備し、調理にとりかかる。
窓から差し込む日の光が徐々に薄まり、夜がやって来た。
午後7時。
親父はまだ帰ってこない。
何をしているんだ、と祐介は卵を割ったご飯に醤油をかけながら思った。6時半位に一度電話をかけたが、いっこうに繋がらない。
酒でも飲みに行っているのだろうか。
だとしても、連絡がないのは変だ。
いつもなら、上司に無理やり誘われたとか言いながら、一応連絡だけは親父は怠らなかった。
まさか、事故にでもあったのだろうか。
そんなことを考えていると、玄関の方からチャイム音が響いた。
「宅配便でーす」
玄関の前には何やらそれなりの大きさのダンボールを抱えた配達の人が立っていた。
印鑑を押して、荷物を受けとると、それが意外に軽いことに気づいた。
フタを閉じてあるテープをビリビリに剥がすと、中から何やら高級そうなジーンズが出てきた。
銘柄はなさそうだな、と思っていたら、腰のところに小さく「oyajeans」とだけ書かれていた。
「なんだそりゃ。」
呟きながら、サイズ感からしてどうやら親父が自分のために買ったものだということが分かった。どうせなら親父がいない間に僕が履いてみようか。
ジーンズを身に付け、自分の部屋の鏡の前に立ってみた。
「なかなか渋いじゃん」
不思議と少し大きめのはずのジーンズが、自分の足にすごく合ってるような感じがした。心持ち大殿筋が引き締まったように思えた。
「ただいま」
親父が帰ってきたようだ。
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