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母が見ていたらはしたないと嗜めるのだろうが、生憎、今この場に居るのはアイルだけだ。誰かに怒られる心配はない。
ぱたぱたと足をばたつかせていると、大きな花を咲かせている薔薇の花弁を空へ巻き上げるほど強い風が、一瞬で薔薇園を吹き抜けた。
突然の風に驚いたアイルは、モカブラウン色のウェーブがかった髪を咄嗟に抑え、蒼穹を思わせる青い瞳を隠すように固く目をつむり、身体をこわばらせる。
風がやみ、恐る恐るといった様子でゆっくり瞼を持ち上げたアイルは、その光景に息をのんだ。
突風に巻き上げられた薔薇の花弁が、踊るように天空を舞い、スカイブルーの空を彩っている。
色の洪水のような薔薇の花弁の中、何故か、幼いアイルの瞳には、紫色の薔薇の花弁だけが鮮明に写った。
――きれい……こんな花吹雪の中、大好きな人に好きっていってもらえたら、どんなに幸せかしら。
いつから、自分の結婚相手を夢想するようになったのか、アイル自身が覚えてはいなかった。
ただ漠然と、それが当然の事のように、自分が結婚するとしたら、黒い髪の、背が高く凛とした佇まいの、艶やかな雰囲気を纏う男性なのだろうと、予感していた。
いや、予感――と言うより、最早神託に似た何かだったのかもしれない。
厳しくて、口下手で、無愛想で、優しい人。
きっと、自分はそんな人と結婚するのだろう、と。
産まれた時から手の甲にある薔薇の形をした痣を見つめながら、幼い頃からアイルはそう思ってきた。
思って、いた。
当時まだ十歳だったアイルは、恋に夢見るだけの、無知な乙女だったのだ。
「アイル、お前の婚約者を連れてきた」
「……え?」
十六歳の誕生日、父にその一言をいわれた瞬間から、アイルは無知な乙女ではいられなくなった。
「私に、婚約者……ですか、お父様」
柳眉をくっと下げ、不安げに父を見上げるアイルに気付いていないのか、アイルの父であるコルデナ・セプタード伯爵は、満面の笑みでアイルに頷き返す。
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