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付き合い始めの頃、休日になかなか会えなくて不思議に思ったことがあったっけ。
今思えば、それは他のひとの影。
もしかして知らないうちに、私も誰かから奪っていたのかもしれない。
完全無実な恋愛なんてないのは分かってる。
でも少なくとも彼は、そういうことを繰り返せる人だったんだ。
「紗衣、この間は悪かったと思ってる。あの時は事情が…」
「いいよ」
「え?じゃあ…」
私の手を握る戸川君の手にぐっと力が入った。
「どんな事情でも、もういいよ。
…今までありがとう。さよなら」
にっこり笑って絞りだす。
綺麗な思い出まで汚したくない。
「行くぞ」
戸川君が私の手を引いてマンションの玄関口に歩きだした。
「紗衣…ちゃんと話を聞いて」
別れを知って、まだ1週間。
「紗衣!」
いくらあんな仕打ちを受けても、重ねた思い出は簡単に捨てられない。
崎田さんの声に、ぎゅっと目を瞑る。
「……振り向くなよ」
斜め前で私の手を引きながら、肩越しに戸川君が低い声で言った。
「言い訳なんか聞くな」
握られた手が痛い。
戸川君に見られないよう、反対側の手の甲で、流れた涙をこっそり拭った。
それきり無言で、私達は階段を上がった。
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