第3章 もう1つの出会い

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遺伝子治療に踏み切るか、すごく悩んだが、かなりの高額治療だった為断念せざるをおえなかった。 医師の話だと、お互いの遺伝子と離れた遺伝子を持つ子供が授かった場合は妊娠の継続も可能だというが、確立が少ないとの話だった。 夫婦二人だけの生活もある。 自然に任せよう。 そんなことを決めた矢先。 奇跡的に授かった子供。 それが『桜』だった。 それからは、毎日が夢の様だった。 私の腕の中で眠る赤ちゃん。 笑った顔。 泣いた顔。 あくびする姿。 うんちを力む姿。 しかめる顔。 何から何まで夢ではないかと思う程。 可愛くて、愛しくて……。 自分の命より大切なもの。 『桜』の存在が私の人生の幸福全てだと思った。 主人は、やはり子供は苦手でよだれがついたシャツも毎回汚いと着替えたり、赤ちゃんの泣き声に戸惑い、泣くのは耐えられないと抱き上げなくなった。 常に私にくっつけとけば良い……。 そんなだから桜は主人になつかなかった。 でも、私は掛け替えのない桜を大切に大切に育てて来た。 主人は、私が相手をしないので、携帯ゲーム・パソコンゲームに手を出し、仕事以外では食事中もずっとゲームを手放さなくなっていた。 夜中も数時間置きにゲームをして、寝室も別々になり、生活もすれ違う様になっていた。 浮気もするわけではなく、相変わらず1人家に籠もってゲームをしていた。 私は、桜が居るだけで幸せだった。 桜が産まれてから、子供の教育で主人とは何度となく衝突した。 まずは、挨拶。 これは結婚当初からの問題であった。 主人の実家も家庭内では、挨拶はしない。 結婚して知った主人の実家は喧嘩が耐えない家庭だった。 主人の母と姑の問題、主人の父の暴力など、かなり屈折した幼少時代を過ごし、主人は人嫌いで挨拶も出来ない屈折した性格になっていた。 桜が産まれる前は、可哀想だからと主人に母性的感情で接したが、桜には同じ環境では育てたくないので、挨拶や人としての道徳感などで随分喧嘩が増えた。 主人が冷たい言葉を発したり、親兄弟に対する冷たい感情を知ったり、自分の殻に閉じこもり、子育て中なのに遊園地も汚いからと拒まれ、母子家庭の様に過ごす内に、私の心はだんだんと悲しみが積もっていった。 そんな中、私が骨折した。
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