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「彼には悪いけど、『結局ノロケかよ』とか思ってましたからね…。
まあ、彼なりに悩んではいたようですが…。
ところでキミ、家が分からないってどういう事なんだ?
まさか記憶喪失とか言うんじゃないだろうな?」
「そのまさかです。目の前の方が俺の妻だと言いますが、とても信じられません。
毎日弁当を食べてたのか外食して昼を済ませてたのかも思い出せません。
散髪代がどこから手に入ったのかも分かりません。
憶えてないんです。」
「信じられん。私や鈴木の事や会社の場所は覚えてるのにか?
奥さんに関係する事だけ忘れたのか?」
「課長さん、主人は嘘をついてはいません。
嘘をつく時は自然に耳に手がいきますから。」
なんでこの女性は俺の癖を知っているんだ?
なかなか治せない癖なんだけど。
「参ったな…。病院で治るのかな…。
そういえば、キミ、昨日退社する時に『床屋に行く』とか言って、飲みに付き合わなかったな。前の日に行ってきたばかりなのに変だなあとは思ったがな。」
「じゃあその床屋に行けば何か思い出すかも!今から行こうよ!
課長さん、いいですか?」
「もちろんですよ。仕事なんかしてる場合じゃない。
キミ、行きたまえ!有給扱いにする。
むしろ、業務命令だ!」
しぶしぶ、目の前の知らない女性と一緒に床屋に行くことになった。
床屋の場所はもちろん覚えている。
「こんな所に床屋さんあったの?
え?『記憶のカット』?
まさか…。」
言うが早いか床屋の中に入る女性。
「いらっしゃいませ~。」
「少し聞きたい事がありますがいいですか?
『記憶のカット』って何ですか?」
「あれ、もしかして昨日のお客様。…と奥様でいらっしゃいますか?
まあここでは何ですから、こちらでお話しましょうか?」
店主は我々を別室に誘導する。
昨日通された部屋とはまた違う、客間だった。
店主は我々にソファーに腰掛けるよう促して客間を出た。
客間は静寂に包まれていた。
ソファーに座っていると、紅茶と茶菓子を持って店主が戻ってきた。
「さて、予想通り奥様といらっしゃいましたか。
では、記憶のカットについてご説明いたします。
文字通り記憶をカットする事です。
カットされた記憶は絶対に元には戻りません。
カットされた髪をまた元通りにはできないように。」
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