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翌日。
仕事帰りに、あの床屋に寄った。
「いらっしゃいませ~。
あ、昨日お越しくださった…。」
「気が変わった。
例のカットを頼みたい。」
「…分かりました。どうぞこちらに。
まわりに聞かれたくないお話もあるかも知れませんから。」
別室には散髪用の椅子がひとつだけ置かれていた。散髪から洗髪など一通りできるよう設備は整っていた。
「本格的に記憶をカットする場合はこちらで一人づつ行います。
本来は予約制ですが、たまたま予約のお客様もいらっしゃらなかったので。」
「そういう事は昨日教えてもらいたかったが。」
「お客様にその気がなさそうでしたから。
それに、予約もめったに入りませんので。」
「そんな状態でやっていけるのかい?この床屋は。」
「記憶のカットに関しては、あくまで副業です。
看板を見ても、よっぽど切羽詰まった方でなければ本気にしません。
安いからと訪れるお客様がいれば何とか採算はとれます。」
「記憶のカットも千円でやるのか?」
「ええ、本来は。」
「どういう事だ?」
「カットした後でお礼にと、相場の何百倍もお支払いされる方もたまにいらっしゃるのです。
お断りはするのですが、お客様のご厚意をないがしろにすることができず、結局頂いてしまうのですが…。」
「何だかんだ言っても儲かっていそうだな…。
俺は千円しか払わないからな!」
「もちろんそれで結構です。
さて、どの記憶をカット致しますか?」
店主に促され、椅子に腰掛けた。
「…妻の記憶すべて。
俺の中からなかったことにして欲しい。」
「もちろん構いませんが、離婚はされないんですか?」
「できればとっくにそうしている。」
「今の状態で奥様の記憶をカットしたら、奥様はお客様が記憶障害になったと判断すると思われますが。
いろいろ不都合が生じませんか?
あなたは、奥様の存在が記憶から抹消された状態で奥様が待つご自宅に帰られるでしょうから。」
「だったら、その妻が待つ家の記憶もカットしてくれ。」
「そうしたら、お客様がご自宅に置いてある貴重品の記憶までカットされる事になります。
それに、戸籍にはお客様が記憶にない人物の名が記載されたままなんですよ?
一度離婚して身辺整理をされて、それでも奥様の記憶に苛まれているのであればカットしても支障はないのでは?」
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