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荒馬だ。
何に驚いたのか、荷をつけたまま、土煙をあげ、あたりの人や物を蹴散らしながらまっしぐらに走ってくる。
秦盟が、手に、ぱっとつばをかけた。
「おい、よせ! 怪我でもしたら三年がふいになるぞ」
聞かず、秦盟は道に出て身構える。
「お前は隠れていろよ!」
秦盟は、紀民がうなずいて奥にひっこむのを確かめた。その目の端に、隣にいた背の高い男が立ち上がるのが映った。
ほっそりとした男は笠をはずして椅子に置くと、秦盟の脇をすっと通り抜け、道のさらに先へと何事もなかったように進んでいく。
「おい! 何をする気だ! 怪我をするぞ!」
秦盟があわてて叫ぶのも気にせず、男は平然と進む。
土煙が近づく。
と。
背の高い男が軽く地面を蹴ってかけだした。
武芸の心得のある秦盟ですら感嘆するほどの、すばやい身のこなしだ。
だが、あの細さではろくな力はないだろう。このままでは跳ね飛ばされるに違いない!
ぶつかる!
秦盟が、「あっ!」と思った時には、荒馬はおとなしく手綱を握られていた。
荷の多くはあたりに撒き散らされていたが、車は無事だ。
荷車の持ち主らしい男が、叫びながら遠くから走ってくる。
手綱をかえし、男が立ち去ろうとする。
秦盟は思わず、声をかけた。
「何をしたんだ?」
「原因をとりのぞいただけだけですけれど」
思ったより細い声だ。
「原因?」
「かわいそうに、耳に花蜂が入っていた」
「それがあんなに遠くからわかったのか?」
「まさか! わかるわけがないでしょう」
では、馬が近づいた瞬時に見分けて対処したのか。
秦盟は、男を見なおした。
「そなた、名は?」
「ものを知らない太学生ですね。名のるときは自分からでしょうに」
「すまん。俺は、秦盟」
「私は、珪薊…… 珪薊児、です」
「珪薊児どの、お見それした。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ。試験前の大切な身を危険にさらして前に出た義侠心、お敬い申し上げます」
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