あゝ上野駅(1)

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 都心の超一等地に立地する私立梅園高校にたどり着いたのは、HR(ホームルーム)のはじまる8時半を10分近く過ぎた頃だ。  5分の遅れがさらに拡大したのは、降りた品川駅の上り階段を踏み外し脛(すね)を打ったからだった。もちろん傷など放置同然で駆けてきたわけだが、大幅なスピードダウンは余儀なくされた。出血はたいしたことないものの打撲の痛みはしんどい。  それでも教室へ向かう廊下を汗だくで走っていると、HRを終えた白石先生と出くわす。白石という名に似合わず色が浅黒く、またいつも眉間に皺の寄っているいかにも偏屈そうな中年の数学教師である。  おうやっと来たな。先生はしかしとくに遅刻を咎めるわけでもなく、HRで配布したプリント類をくれた。  ただ……わたしの通学事情を知る先生はまだいい、問題なのはクラスメイトでそれを知る者はいない、つまりまだ誰にも打ち明けていないことだった。  だから教室に入ると、かれらのどことなく怪訝な視線が向けられる。何分かの遅刻をたびたび重ねるわたしに。ましてやここは中高一貫を基本としているが、わたしは少数派に属する公立中学の出身。言ってみれば中途入学者だ。それだけに、どれだけ緊張感の欠けたやつなんだと思われているに違いない。 「おはよ」  右隣の席の奥沢絵莉菜さんが声をかけてくる。と同時に、彼女は細くきれいに整えられた眉をひそめた。「足どうしたの?」 「転んじゃった」自嘲的に愛想笑いを浮かべ、わたしは言った。  席に着くと、傷口をしっかり消毒し絆創膏を貼る。全速力で走るのは日課になっているから、こんな事態にはつねに備えてある。  続いて額に湧く汗をハンカチで拭っていると、奥沢さんが言う。「ね、数学のあれやってきた?」  うん。わたしは答え、その箇所のルーズリーフを見せた。
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