あゝ上野駅(2)

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 外はすっかり明るくなっているが、時刻はまだ5時20分だった。この時間、起きているのはわたしとお母さんだけだ。もっとも、お母さんはお弁当を作りわたしを送り出したのち、つかの間とはいえまた床に着く。「行ってきまーす」。わたしはそんな母の苦労に報いようと、出るときはせめて元気な声を出す。心配しないでというメッセージをも込めて。  田畑や雑木林に囲まれた車道を徒歩でゆく。駅まで10分弱。東京近辺なら不動産広告などでその利便性が強調されそうな距離だが、残念ながらここはそういった地域ではない。やってくる電車は終日1時間に1本、ときどき2本。駅前は地銀の支店があるほかは個人経営の商店が散見される程度のさびしい佇まいで、日中であっても人やクルマの往来は少ない。  わたしのホームタウンは、まさにそんな田舎だった。  もちろん平屋建ての駅に係員はおらず、構内には両替機程度の大きさの券売機が1台だけ置かれている。5時半過ぎ。一番電車の音が聞こえてくると、わたしは親切に座布団のこしらえられたベンチから立ち上がり、備え付けのICパネルに定期をタッチする。そしてどこからともなく現れた何人かの客とともに電車に乗り込む。席に座ると膝の上にカバンを置き、そこに教科書などを広げるのが習慣だ。座って移動できる時間は貴重な勉強時間。わたしは教科書と睨めっこしながら、英文やら古文やら数式やらをぶつぶつ唱えたりする。揺れる車内では筆記がしずらい。だから必然的に口を動かすことが主立った勉強法となる。というか口が勝手に動いてしまうのだ。まわりの目を気にしている余裕などなかった。テストは近い。
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