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彼女が藤士郎と出会った二年目の、春を少し過ぎた頃。次の夏を迎えられないまま、彼は病で亡くなってしまった。
六十八歳という、少し早い別れ。
誰もいなくなってしまった家に、彼女一匹、残されてしまった。だが、長くはそこにはいられなかった。優しい思い出があればあるだけ、とどまっていることが辛かった。
それから、たぶん、長くは経っていない。
彼女が家を出てから、半月くらいだろうか。季節は梅雨に入る手前の、月の明るい夜だった。
その日の寝床を捜すために入っていった公園で、彼女は、見知らぬ男の手によって殺された。
どん、と、金属バットで思い切り殴られた衝撃と痛みだけは、はっきりと記憶に残っている。そこからは、真っ暗だった。真っ暗な中を執拗に殴られて放置されて、体から流れていく血の生ぬるさを感じながらも、酷く寒かった。
――藤士郎
地面に横たわったままで、彼女は彼を呼んだ。
幸せだったと、伝わっていただろうか。
ともにいられた時間はあまりにも短かったけれど、幸せだった。彼と出会えて、本当によかった。
お前は、どうだった。
わたしと出会えて幸せだったか、藤士郎。
☆
気づいたときには、彼女はちょこんと座っていた。
場所は、公園の片隅。おそらくは男に金属バットで殴られたあの公園だろうが、はっきりとは覚えていない。
なぜここにいるのだろう。
あれだけ殴られたというのに、まるで痛くない体を見下ろした彼女は、絶句した。真っ白だった毛並みは、真っ黒に染まっていた。だが、どこもかしこもというわけではなかった。左後ろ足だけはなぜか、白い毛並みが残っている。
藤士郎に包帯を巻いてもらった、左後ろ足だけが。
そうだ、彼を探そう。
そう思い立って、彼女は歩き始めた。死んだはずの自分がここにいるのだから、もしかしたら彼もどこかにいるかもしれない。
公園を出て、町の中を探した。
そのうちに雨が降り出してきた。しかし雨粒が当たった感触はしても、冷たいとか、濡れているなどという感覚がない。
次第に強くなっていく、雨足。
と、そのとき。
黒い傘を差した男性が目の前を歩き去っていって、彼女は慌ててそれを追いかけた。似ている気がしたのだ、彼に。
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