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彼女に案内されてやってきたのは、更地だった。その片隅に、ミカンの木だけが一本、ぽつりと立っている。
だが一週間前までは、そこには彼女の主人だった佐々木藤士郎の家が建っていたのだという。
「ここには新しい家が建つそうでな。藤士郎の息子夫婦が住むそうだ」
足元から、猫の彼女が説明してくる。
「それで、ずっと見てたのか。その家が壊されるのを」
「うむ、まあな」
あっさりと、彼女が頷く。
いなくなっていた、一週間。
彼女はここで、藤士郎の家が壊されていくのを見つめていた。
ずっと、一人で。
どうして何も言ってくれなかったんだ、とは、言わなかった。話してくれたところで、澤田には何もできなかった。家が壊されるのを止められるわけでもなければ、抜き去られてしまうであろうミカンの木を引き取ることもできない。
だけど、見てみたかったとは思う。
藤士郎という人とともに、彼女が暮らしていた家を。
「どうしても最後まで見ていたくてな」
あの一週間、彼女はずっと、この家で藤士郎と過ごしていた頃の思い出に浸っていたのだろう。
それは、仕方のないことだと思う。
だけど澤田は、あの一週間、黙っていなくなった彼女のことで頭が一杯だったのだ。
「なるほど、浮気な」
ぬ、と見上げてきた彼女に、澤田が笑う。
ここに、新しい家が建ったとき。
きっと壊されたときとはまた違う寂しさが押し寄せてくるのだろう。まるで大切な思い出を、上から塗りつぶされてしまったような。
「よし、ではそろそろ行くぞサワダ」
「え、いやまだ来て五分も経ってないけど」
「そんなに長い間おったところでなにもすることなどないだろう」
言うなり彼女はすたすたと歩いていってしまうので、澤田は慌ててあとを追う。
「俺、今日はバイトないし、もう少しここにいても」
「よいのだ。たとえこの場所がどう変わろうと、わたしの中の思い出が変わることはないのだからな」
たしかに、彼女の言う通りだ。
弟がいなくなり、両親がいなくなり。祖母がいなくなってしまって、一人になって何もかも失った気でいたけれど、思い出がなくなるわけではない。そりゃ、悲しい思い出や辛い思い出のほうが多い気がするけれど、いい思い出だって。
澤田はもう一度、何もなくなってしまった土地を振り返った。
ミカンの木が、冷たい風に吹かれてその枝を静かに揺らしていた。
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