第3章 札幌ゲノメディカ

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 札幌に戻ってくる際、絶対条件として大学に認めてもらったのは、創薬ベンチャー企業の社長も兼任するという事だった。  それが、真之の譲れない条件だった。  米国で研究していて肌で感じた事は、大学とベンチャー企業には密接な関わりがあるという事だった。  それは、織物の縦糸と横糸のようなものだ。  両方が互いに絡み合い、医薬産業という名の西陣織が、色鮮やかに織ることができる。  現状のままでは、日本の医薬業界は、目まぐるしく発展する米国に飲み込まれてしまう、という危機感を抱いていた。  米国で研究をすればするほど、真之の焦りは大きくなっていた。  研究者としては、米国の方が、資金も環境も恵まれていた。  現に、最近の生理学・医学分野のノーベル賞受賞者には、ほぼ毎年、米国人が選ばれている。  そのまま、米国に残って研究を続けていれば、いい仕事が出来るだろうし、研究者としての名声も高まるだろう。  しかし、母校に戻って来て欲しいという打診を受けて、札幌に戻る事を決意した。  このままでは、日本の医薬界は駄目になる。  俺が、日本を変えなければ、という強い使命感が真之を動かした。  真之は帰国後、優秀な若手研究者を日本中から募り、創薬ベンチャー企業を立ち上げた。  社名は、「札幌ゲノメディカ」とした。「ゲノム」と「メディカル」を繋げた真之の造語だ。  産学協同という母校からのバックアップもあって、資金も施設も満足いくものが得られた。
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