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茜色に染まった空と海。その境界に、美しい独立峰が聳えていた。
稜線は、左右均等になだらかに広がり、海上に浮ぶ巨大な影絵のようだった 。
血のように赤く染まった笠雲が、山頂付近に掛かっていた。
「何もかも捨てて、駆け落ちしてしまえ」と茜色に染まった潮騒が、愛子をそそのかした。
愛子は、高ぶった気持ちのまま、連れ添って歩いていた恋人と情熱的なキスを交わした。
不意に背後から、カメラのシャッター音が聞こえてきた。
背後に目をやると、砂丘の手前で、男が三脚を構えてシャッターを切っていた。
愛子は、勝手に被写体にされていたことへの非難を込めて、きつく睨み付けた。
すると、男がファインダーから顔を上げて、にこやかな笑みを浮かべて会釈した。
人の良さそうな初老の紳士だった。
愛子は、閃いた。彼が今、撮った写真を送って貰おう。
今日は七夕だが、笹に短冊を結ぶ機会もないだろう。
愛子は、恋人の腕から離れて、三脚の後ろで微笑む男に、歩み寄って行った。
「今、私たちを撮りましたよね?」
「えぇ、黙って撮ってすいません。でも、私が撮りたかったのは夕焼けの風景でして、別にあなたを狙って撮った訳じゃないんです」
初老の紳士は、バツが悪そうに弁明した。
「咎めている訳じゃないんです。出来れば、あなたが撮った写真を記念に送って頂けないでしょうか?」
「私の撮った物でよければ送りますよ。ただ、逆光になっていたので、シルエットになって顔はよく分からないと思いますよ」
「それでも良いんです。旅の記念に写真を撮りたかったんですけど、持ってきたカメラが壊れちゃって…」と愛子は嘘を付いた。
「分かりました」
「ありがとうございます」
愛子は、紳士に郵送先を教えてから郵送代を手渡した。
その後、渚で佇む恋人のもとへ戻った。
そして、砂浜の上に二筋の足跡を残しながら、ゆっくりと歩を刻んだ。やがて、太陽は海上に沈み、大地は夜の帳に閉ざされていった。
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