第2章 ライラックの大通公園

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第2章 ライラックの大通公園

 和子は、三越のデパ地下でスィートポテトを買ってから大通公園に向かった。  デパ地下から再び、地下鉄のススキノ駅と大通駅を結ぶ地下通路のポールタウンを歩いて、大通駅で地上に出た。  札幌は、ライラックの季節だった。  紫色のライラックを見て、北国にも、ようやく初夏が来たと実感したと同時に、数年前に他界した母の面影が過ぎった。  母は北星(ほくせい)学園高校の卒業生で、和子が子供頃から学園内のライラックの花の美しさを話し聞かせてくれたものだった。  ライラックは、札幌市の市の花に指定されていて、市民のみならず観光客にも愛されている。  北星学園の創始者であるサラ・クララ・スミス女史が、故郷である米国のニューヨーク州から苗を持ち帰って校庭に植えたのが、札幌のライラックの始まりとされている。  明治の開拓の時代に、日本に渡って来たサラ・クララ・スミス女史は、当時、札幌農学校で教鞭(きょうべん)を取っていた新渡戸稲造(にとべいなぞう)たちの協力を受けながら、女学校を設立した。  これが札幌の女子中等教育の魁(さきがけ)と言われている。  ちなみに、北星学園の名付け親は、新渡戸稲造で、  Shine like stars, in a dark world   - 暗い夜空の星の如く、光り輝く人となれ -   が由来文となっている。  そんな縁もあって、和子の母は、新渡戸稲造が、五千円札の肖像画に選ばれた時にも、誇らしげに母校を語っていた。  新緑に満たされた大通公園で、人々は、ベンチに座ったり、公園の芝生に寝そべったりしながら、ライラックを眺めていた。
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