第13章 湯川渓谷の撮影

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 矢崎は、中軽井沢駅前にある『かぎもとや』という蕎麦屋に入った。  メニューに、鴨ロース蕎麦があったので、珍しいと思い食べてみた。鴨肉は、めったに口にする事はないが、旨かった。無論、店内で打ったばかりの蕎麦も旨かった。  大賀ホール前にいた、あのやかましい鴨も冗談抜きで旨いかも知れないなと思いつつ、鴨肉を味わった。  昼食後に、妻に絵手紙を送ろうと思っていた。  〈旦那元気で留守が良い〉を地でいく妻の事だから、自分が居なくても楽しくやっていることだろう、とは思ったものの、昨日、広いスィートルームに一人でいて、妙に妻が恋しくなった。  中軽井沢駅前の土産物屋に、ちょうどよい、浅間山のポストカードが売っていたので、それと切手を買った。  旅の近況や軽井沢について書き記し、駅前の赤いポストへ投函した。  その後、次の撮影ポイントに指定されている長倉神社に向かった。  湯川に架かる赤い橋を渡って境内に入ると、立派なブナの巨樹があった。  境内裏にあった水辺に下りてみると、川石の上に深山河原トンボがいた。珍しいトンボで、都会では間違いなくお目には掛かれない。  鼈甲(べっこう)を透いたような羽根、金碧色(きんみどりいろ)の腹、角度に寄って微妙に輝きを変える胸、その美しさは、渓流の宝石とも言われている。  足音を忍ばせつつ、トンボに逃げられないように、ゆっくりと近付き、その姿をファインダーに捉えた。
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