第14章 鼻顔稲荷の殺人

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第14章 鼻顔稲荷の殺人

 山崎梅子は、皆から梅ばあさんと呼ばれている。  彼女は、佐久市の岩村田商店街で長年、製菓業を営んできた。毎朝の日課は、鼻顔稲荷へ参拝することだった。  鼻顔稲荷は、日本五大稲荷の一つで、商売繁盛の神様として信仰を集めている。  雨が降っても槍が降っても参拝を欠かしたことはなかった。隠居の身となった今でもそれは変わらない。  梅子は、いつものように、杖を付いて、のんびりと鼻顔稲荷に向かった。空を見上げると、抜けるような青空が広がっていた。  浅間山の5合目から下だけが霧で覆われていた。雲のスカートをはいているように見えるので、梅子ら地元の人間は、その気象現象を昔から、『浅間の袴(はかま)』と呼んでいる。  朱色の鳥居が連なる参道を登り、古い木板の床を歩いて社殿に入った。  鼻顔稲荷は、湯川の断崖に面して、木組みで櫓(やぐら)を築くようにして造られている。『懸崖造り』と呼ばれ、京都の清水寺と同じ建築様式だ。社殿の 直下には、湯川が流れている。  梅子の拍手の音が、澄んだ空気が漲る社殿に響いた。 「どうか、息子らが新しく出店したケーキ屋の営業が上手くいきますように。鼻顔稲荷様、どうぞ、宜しくお願いします」 と丁寧に何度も頭を下げた。 「さて、参拝も終わったこったし、鴨たちにパン屑をやろうかのう」 と呟いて、柵の手摺りから湯川を覗いた。  パン屑を落としてやったが、鴨たちの様子がいつもと違ったので、身を乗り出して、よく見てみた。  川の底に何かが、沈んでいた 。 「ありゃ、人じゃねぇだかい。こ、こりゃ大変だ」と腰を抜かした。
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