2 はじまりの夜

1/7
前へ
/38ページ
次へ

2 はじまりの夜

 診察を受け、王宮から無条件で解放された白髪のティオは、しばらく王宮の中庭にいた。  丸く縁取られた噴水の石に腰かけ、診察をしてくれた医師のことを思いかえす。  にっこりとほほえんだ顔や、いい子だね、と頭をなでてくれた手の感触。  それらは、かつての主から受けたことのないあたたかい愛情にあふれていた。  ティオは自分で頭をなでてみたが、何回やってもあの時のように嬉しくて面映ゆい、幸せな気持ちにはならない。 (あのひとは、……なんだろう)  ティオは心の中で声にする。甲高い声が耳障りだと言って、かつての主が喋るのを禁じたことをまだ、忠実に守っていた。  主はこちらから語りかけても一切の反応をせず、気に障った時だけ、暴力をふるって改めさせた。  もう誰からも殴られるのはいやなので、声をだしたくない。  黙ってさえいれば誰も気づかずに通りすぎてくれることを、ティオは学んでいた。  それなのに、あのひとは、やさしかった。  身体に悪いところがないかみてくれて、だいじょうぶだよと笑ってくれた。天使さまの力を、わけてくれた。 「あ……」  寒い季節はもう通りすぎたのに、身体がふるえる。  ここから出ていかなくてはならないのに、あのひとに会いたくてたまらなくなる。  せめてもう一度だけ、声をかけてもらうことはできないだろうか。  頭をなでて、笑って。  でも、なんて声をかければ、ふり向いてくれるだろう。  これまで、一度も主は反応してくれなかったので、その方法がわからない。  主がとても喜んでひとを迎えるときに、相手は何ていう言葉を話しただろう。  誰かが、帰ってきたとき、ただいま、と言っていたような気がする。  ティオは立ちあがり、ただいま、と声にする。  こんな、かすれたような、ささやくような声じゃだめだ。あのひとに気がついてもらえない。  ちいさすぎてもだめなんだ。おおきすぎても、甲高くてもだめ。 (……ただいま)  落ち着いて、歩きながら繰り返す。  ただいま、ただいま、ただいま。  ティオは医務室の前に立った。  まだここにいるだろうか、ふり向いてくれるだろうか。まだいたのかい、しつこいね、と詰られるだろうか。  でも。  診療中、という文字の書かれた札に気づいた。  あのひとの筆跡なのだろう。線が細くて、綺麗に整っている。  裏返すと、本日は終了致しました、と書かれていた。表になっているということは、中にいるのだろう。  その事実に勇気をもらい、ティオはそっと扉に手をかける。  ……会いたいなら、これを開けて、声を出さなくちゃ。  心を整え、ふるえる手で、その扉をひらいた。 「ただいまっ」  声に、なった。  あのひとが……イグノトル医師が、なぜかもうこちらを見ていた。
/38ページ

最初のコメントを投稿しよう!

327人が本棚に入れています
本棚に追加