いのちにふれる

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髪を撫でていたのだ。旦那さんの手が、優しく。 手術室の前で。 婦人科にそう興味がある訳ではなかった。医学生も高学年になると、あちこちの病院に見学を兼ねた実習に行く。 とある病院の実習で、僕が婦人科に回ったのは、人数調整があったからだ。そこは産科が有名な病院で、僕もやはりお産を見学したかった。 産婦人科とひとくちに言っても、産科と婦人科とでは業務の内容が大きく異なる。婦人科は外科系で、主に腫瘍を扱う。 僕が担当になったのは、卵巣がんの患者さんだった。まだ若いご夫婦の奥さんで、いつも旦那さんが付き添っていた。 ご挨拶をして、診察をさせていただいた。とても素敵なご夫婦だった。何も知らなければ、不自由とは無縁の、幸せを描いた絵のようだと思ったことだろう。 でも、ご夫婦は何年も不妊治療を続けていた。 卵巣がんの手術では、卵巣と一緒に子宮を摘出することがある。この場合もそうだった。子宮を摘出してしまえば、もう、子どもは産めない。 それでも、命には替えられないからと、ふたりで幾度となく話し合って出した結論ということだった。 手術はその翌日で、旦那さんと一緒に、僕も手術室まで付き添った。 ご家族はここまでですと告げられたドアの前で、旦那さんはただ優しく、奥さんの髪を撫でた。奥さんは目を閉じていた。 窓の外は穏やかに晴れていたし、その風景は嫌になるくらい日常そのもので、世界はその場にいる誰にも無関心だと感じた。 今となっては、それがとても悔しい。
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