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ェンダーの大村に代えて、天才児の大野を投入して、4バックに変更した。
これは岡畑監督は、中畑が感覚的に一番合うと主張した錠に見切りをつけたのだ。
いつもなら、結果的に中川に代えて、ロピスだったのが、錠に代えての、ロピスだった。
この時、凩忍工は、直感的に岡畑監督は、責任を取って辞任すると感じた。
しかしこれで、岡畑監督は二人目の交代で、天才児の、大野伸二を送り出した。
これで日本で一番うまい選手の、大野がW杯デビューをする。
そして倉木にも出番がやってきた。
後半79分に、名並に代えて、倉木飛馬を投入。
これで倉木は、日本代表史上最年少で代表デビューと、W杯デビューを果たした。
それは若干、17歳と、118日での、代表デビューだった。
そして試合は、錠から、ロピスに交替させたのが功を奏したのか、ロピスが頭でゴール
を狙った。
そこに待っていたのが、中川だった。
中川はそのボールを、全身の体を使って、ジャマイカゴールに押し込んだ。
ゴンゴール!!
75分に、日本の得点が決まる。
しかし反撃はそこまで、日本対ジャマイカは、1対2で、ジャマイカが勝利する。
日本の初W杯は、3戦全敗の惨敗に終わった。
この戦いを見守った日本人は、
錠、ガム噛むな!
もっとシュートを撃て!
岡畑のリトリート戦術はつまらん!
攻めに行って負けたのならば解る。でも攻めに行かずに負けたのが悔しい!
これでフランスW杯の、日本戦が終わった。
日本代表戦術担当コーチの、凩忍工。
彼は、雇われ先の日本サッカー協会に、1998年のフランスW杯の、報告書のレポー
トを書かなくてはいけなかった。
凩は、1998フランスW杯の、戦術レポート報告書を作成した。
ジャマイカ戦でゴールを決めた中川ですが、点を決めたあとに、相手選手と接触した時
に足を骨折していた。
しかし交代枠がもうなかったので、彼は最後までピッチに立ち続けて、戦った。
その魂は、きっとキング知がフランスに残したものだろう。
彼らの勇敢なプレーに、私はピッチの傍で見ていて感動した。
私は結局、キング知を日本代表から外したことが、チームに響いたと思う。
知は第一選考で選ばれたのなら、そのまま最終メンバーに入れるべき選手だった。
知の能力は最初から分かっているのだから、精神的支柱として、最初から外されない選
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