第1話-2

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次こそは、決定力不足を克服せよ! 中畑英寿って、クールでかっこよい! 今度は自国開催の、日韓W杯が待ってるぞ! しかしその中の一人の、フーリガンが、錠選手に水をかけた。 そこで、日本で初めてフーリガンが生まれた、有名な水かけ事件が起こる。 こういう人たちが、本物のフーリガンだ。 日本代表に近い選手の人たちは、自分よりもうまい選手たちが戦って、負けたのならば しょうがないと納得する。 しかしその存在から、遠ければ遠いほど、この感情が理解できないのです。 トップ下で使われた中畑は、世界最高峰リーグのイタリアのセリエAの、ペルージャに 移籍することが決まった。 中畑「わたくし、中畑英寿は、イタリアのペルージャに移籍することに決まりました!」 そして、あの海外志向が強かった後園真聖は、ブラジルのクラブである、サントスに移 籍した。 彼は自分のプレーを取り戻すために、環境を変えて、ブラジルに挑戦することにした。 そして代表に復帰することも、まだ諦めてはいなかった。 次のW杯は、2002年。 旅人たちの思惑が交差する2002年に、どんなドラマを見せてくれるのか? 全ては日本と、韓国で披露される。 自国で開催されるW杯は、あっという間にやってくるのでした。 フランスW杯の閉幕後。 日本代表監督の岡畑武史は、日本サッカー協会から続投の要請をされたものの、辞意を 表して、ケジメをとって退任した。 そこで日本サッカー協会は、後任を探さなければいけなかつた。 そこで白羽の矢を立てたのが、以前、低迷していた名古屋ドルフィンズを、一年で上位 チームに押し上げて、天皇杯も制した、フランス人のウェンゲル監督だ。 日本サッカー協会幹部は、W杯を獲った国の監督を、日本代表監督に選びたがる。 しかしウェンゲル監督は、イングランドのクラブである、アーセナルの監督に就いてい て、世界のサッカーの先端を走っている最中だった。 だから格が劣る日本代表監督への就任を断った。 しかしウェンゲル監督は、そのかわりに、同じフランス人で、フランスW杯で南アフリ カを指揮していた、トルシエール監督を、日本サッカー協会に紹介したのだ。 ウェンゲル待望論者の、幹部たちは、ウェンゲル監督に紹介された、トルシエール監督 を、日本代表監督として迎え入れる。 1998年。
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