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しかし飛馬は、魂が抜けたような放心状態でいます。
これはまさに、世界タイトル戦で負けた直後の、プロボクサーの、亀畑大毅(かめは
た・だいき)状態になっていました。
日本代表が空港に降り立つと、大勢のサポーターが、蒼き侍を迎え入れてくれました。
しかし負けて帰った時の、とても奇妙な空気が漂っていました。
世界を相手によく頑張った!
次こそは頼むぞ!
負けたけれど、下を向くな!
日本代表お疲れ様!
日本の人たちは、誰も「ありがとう!」とは言ってくれなかった。
その空気の中を、傷心の飛馬も通っていった。
倉木飛馬には、帰るべき家が横浜にあった。
飛馬は、日本の活動拠点を横浜にして、家を建てた。
そこには家族がいる。
妻の倉木あかねと、息子の倉木風馬だ。
妻のあかねとは、男女交際が禁止されている見国高校サッカー部時代から、選手とマネ
ージャーで、密かに付き合っていた。
2002年に、正式に結婚して、式も挙げた。
長男の風馬は、あかねが飛馬に伝えられないまま、2000年のうるう日に出産した。
ですので現在は、6歳になっている。
元気で活発に動き回り、ちゃんと言葉も発している。
将来は、飛馬と同じサッカー選手になってくれて、親子で同じピッチに立てれば良いな
と、夫婦でよく話していた。
その家族が待っている家に、心が折れた飛馬が帰還する。
飛馬「た、ただいま……。」
すると子供の風馬が、真っ先に駆け寄ってくれた。
風馬「パパ~!」
飛馬にとっては、家族と暮らす時間が、何よりの癒しでした。
この日は、久々の家族団欒で、ドイツから生還したことを実感した瞬間です。
そしてあかねは、サッカーのことも、ドイツW杯のことも、宣言したサッカー選手を辞
めるということも、飛馬には一切尋ねませんでした。
そしてこのまま、サッカー選手である飛馬の、05‐06シーズンが終了する。
結局、W杯で優勝したのは、イタリアだった。
イタリアの監督は、あのユベントスでの印象が強い、イタリア人のリッビ監督だった。
イタリアは、2002年の日韓W杯では、誤審が続き韓国に敗退した。
しかし4年後、その悔しさをバネにして、見事ドイツW杯で優勝した。
サッカーには、失敗というものはない!
05‐06シーズンの、欧州チャンピオンズリーグで優勝したのは、スペインのバルセ
ローナだった。
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