第1話-2-2-2

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しかし飛馬は、魂が抜けたような放心状態でいます。 これはまさに、世界タイトル戦で負けた直後の、プロボクサーの、亀畑大毅(かめは た・だいき)状態になっていました。 日本代表が空港に降り立つと、大勢のサポーターが、蒼き侍を迎え入れてくれました。 しかし負けて帰った時の、とても奇妙な空気が漂っていました。 世界を相手によく頑張った! 次こそは頼むぞ! 負けたけれど、下を向くな! 日本代表お疲れ様! 日本の人たちは、誰も「ありがとう!」とは言ってくれなかった。 その空気の中を、傷心の飛馬も通っていった。 倉木飛馬には、帰るべき家が横浜にあった。 飛馬は、日本の活動拠点を横浜にして、家を建てた。 そこには家族がいる。 妻の倉木あかねと、息子の倉木風馬だ。 妻のあかねとは、男女交際が禁止されている見国高校サッカー部時代から、選手とマネ ージャーで、密かに付き合っていた。 2002年に、正式に結婚して、式も挙げた。 長男の風馬は、あかねが飛馬に伝えられないまま、2000年のうるう日に出産した。 ですので現在は、6歳になっている。 元気で活発に動き回り、ちゃんと言葉も発している。 将来は、飛馬と同じサッカー選手になってくれて、親子で同じピッチに立てれば良いな と、夫婦でよく話していた。 その家族が待っている家に、心が折れた飛馬が帰還する。 飛馬「た、ただいま……。」 すると子供の風馬が、真っ先に駆け寄ってくれた。 風馬「パパ~!」 飛馬にとっては、家族と暮らす時間が、何よりの癒しでした。 この日は、久々の家族団欒で、ドイツから生還したことを実感した瞬間です。 そしてあかねは、サッカーのことも、ドイツW杯のことも、宣言したサッカー選手を辞 めるということも、飛馬には一切尋ねませんでした。 そしてこのまま、サッカー選手である飛馬の、05‐06シーズンが終了する。 結局、W杯で優勝したのは、イタリアだった。 イタリアの監督は、あのユベントスでの印象が強い、イタリア人のリッビ監督だった。 イタリアは、2002年の日韓W杯では、誤審が続き韓国に敗退した。 しかし4年後、その悔しさをバネにして、見事ドイツW杯で優勝した。 サッカーには、失敗というものはない! 05‐06シーズンの、欧州チャンピオンズリーグで優勝したのは、スペインのバルセ ローナだった。
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