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サッカーは、日本人につまらないと感じられた。これは日本にとって、良いか?悪い
か?の問題ではない。好きか?嫌いか?の問題だった。日本人には、リスクを負っ
てでも、前線から積極的にプレスに行かないサッカーは、好きではなかった。」
凩「サッカーの自由とは、リスクを負ってでも、点を取るために、自分が担当する守備エ
リアから離れてでも、積極的に攻撃参加するというのが、サッカーの自由だと思います。
そうやって自分が担当するエリアを、相手に突かれて失点するリスクを負ってでも、点を
取るために、自分が攻め上がることで、相手をマークさせて下がらせて、前線に人数をか
けて、攻撃参加しても良い自由が、ジッコ監督がおっしゃっていた自由だと思います。し
かし日本人選手たちは、自由に自分が攻め上がることで、相手に下がらせて守備をさせる
攻撃参加を、行使しなかった。それは日本人が、安全を第一に考える国民性だったからだ。
子供の頃から、リスクを負わない教育を受けている。『酒タバコ禁止』『ギャンブル禁
止』『男女交際禁止』将来困ったことにならないように、これらを道徳の授業で教えられ
ているからだ。」
凩「日本人には独創性は乏しい。それは一億総中流社会で、人と違うことに誇りを感じな
く、人と同じことに安心感を覚える国民性だからだ。だから協調性はある。だから監督が、
目的地まで指示してくれたら、日本人は強調して、助け合って、みんなでゴールまで到達
する力はある。しかしジッコ監督は、『上からごちゃごちゃ言われなくても、自分たちで
自主的に、目的地までたどり着きなさい』という教え方をした。だからジッコ監督のチー
ムに、『俺が引っ張って、目的地まで誘導して、アドバイスして、案内してやる!』とい
う、リーダー格の選手がいれば、ジッコ監督のサッカーは機能していたかもしれません。
それに日本人は、個人のボールコントロールの技術は世界トップクラスなのに、集団で、
組織全体として、合わせるのが苦手な国民だ。だから自主的に行動する選手が少なかった。
そんな日本人に、『自由』と言って丸投げされても、日本人は自主的に、どうやって目的
地までたどり着くかが、わからなかった。ジッコ監督は、戦術も選手たちに任せていたの
ですが、そこで率先するようなリーダーがいなかった。だから我々は、世界を知っている
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