第1話-2-2-2

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ジッコ監督に、目的地に連れて行って欲しかった!最初の時に、そのリーダーの役割を 期待したのが、キャプテンに任命した中畑英寿選手でしたよね。彼は日韓W杯で、代表を 引退するつもりでした。しかしそれを引き止めたのが、ジッコさんでした。」 凩「必要だったのは、同世代の選手にも、リーダーとして指示をして、嫌われ役になって でも、ジッコ監督からもらった、自由と責任をもって行動するリーダーでした。日本代表 には、『合わせる選手』はたくさんいた。しかしFWの中に、『俺に合わせろ!』という 自分の意志で最終決定をする、独創的なエースが存在しなかった。だからそんなエースが 台頭していないのに、攻撃も選手個々の想像力に任せたものだから、FWの実力しだいの、 単発の点を取るパターンしかなかった。組織的にボールを運び、偶然ではない、必然的に 点が生まれる戦術が、存在していなかった。中畑英寿選手は、『俺に合わせろ!』という タイプだ。しかし中畑英寿選手は、ボランチで使われていた。前線に近いところではなか った。そしてリーダーは、宮裏に代わっていた。」 凩「ジッコ監督は、指示をしない。しかし攻撃は、もともと選手たちの能力頼みの面があ る。しかし問題だったのが、守備面だ。守備はその場その場で考えるのではなく、素早く 動けるために、約束事を決めておかなければいけない。その約束事の指示がなかったもの だから、ジッコ監督の守備がユルくなってしまった原因だ。しかし中畑英寿選手がケガを して、長期不在だったために、宮裏選手にリーダーを任した。そして宮裏選手がリーダー シップを発揮して、ジッコ監督の采配も的中するという、奇跡を連発して、アジアカップ を制した。特にヨルダン戦の、PK戦の途中で、流れが悪かったから、雨でぬかるんでい ない方のゴールでPK戦を行うべきだという理由で、ゴールを変更させたあの時から、リ ーダーを宮裏選手にしました。ジッコ監督は、その時から厚い信頼をしていたと思います。 しかしまだ海外での経験がない宮裏選手たちが、その時のGKの河口選手や、中畑選手の 意見を押し切って、あのユルいディフェンスを採用したことが、皮肉ですね。」 凩「キャプテンを任せられた宮裏選手は、事あるごとにラインコントロールが巧いとか、
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