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答えが沙希の胸を裂くものであっても、沙希はどうせ明日……もう日付変更線を越えたから、正確には今日だが、どのみちすぐに消えてしまう。
ならば最期に、訊いてみてもいいのではないかと思った。
「……『リコリス』っていうのは、国家機関だ」
沙希の問いに、久那の指が止まった。
久那の声だけが、水底のような部屋の中に響く。
「今や国を動かしていくにはなくてはならない機関だ。
当然だが、政府からは高待遇を受けている。
たかが個人が、相手にできるような機関じゃない。
ゾウとアリを比較しているようなものだ」
「……久那くん?」
「そんな相手に俺は、喧嘩吹っ掛けたんだぞ。
『リコリス』の片付け者リストは、絶対だと知っていながら」
瞼を押し上げて、久那を見上げる。
久那は足と腕を組んだ状態で、沙希のことを見おろしていた。
眼鏡越しに見える茶がかった瞳は、穏やかに凪いでいる。
「俺がどうでもいい相手のために、そんな命がけの賭博を仕掛けるほど酔狂な人間だと、沙希は思っているのか?」
久那はそれ以上のことを口にはしなかった。
沙希がぼんやりと久那を見つめる前で再び腕と足を解き、沙希の目に映らないほどのスピードでキーボードを叩き始める。
「……久那くん」
だから沙希も、それ以上のことを言うのはやめた。
久那がくれた言葉を大切に胸の内にしまいこみ、そっと唇に笑みを刻む。
「ありがとう」
それ以降、水槽の底のような部屋に響くのはキーボードのタイピング音だけだったが、沙希がその音を無機質だと思うことは二度となかった。
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