ー水底(みなぞこ)に沈めた華ー 

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 重い瞼を開くと、茜色に染まった空が見えた。  体を撫でる風が強い。  遮る物のない空を、ほんのり紅色に染まった雲が急ぎ足で流れていく。  茜色、紅色……夕焼けの色だ。 「……っ!!」 「お目覚めか。長谷久那」  軋む体を無理矢理起こすと、気だるげな声が聞こえた。  声の方を振り返ると、遠宮龍樹が声と同じくらい気だるげな表情で久那のことを見おろしている。  遠宮龍樹が纏う衣服は、制服から変わっていた。  礼服と呼ぶには重苦しく、喪服と呼ぶには豪奢な黒服。  『リコリス』の掃除人が纏う仕事服だ。 「……俺を人質にとっても、沙希はここへは来ませんよ。  こういうことになっても、絶対応じるなと言い含めておきましたから」  こういう未来が、見えていなかったわけではない。  確率は低いと思っていたが、万が一のことも予測して、こういう場合の指示も沙希には伝えておいた。  沙希が視たビルも、それらしいものの情報はすべて沙希に渡してある。  日付が変わるまで、情報にあるビルの周辺には何があっても近付くな、と言い含めた。  沙希もそれに『分かった』と頷いていた。  だからここには、沙希は来ない。 「そういう判断ができるのは、非日常に身を置いている人間だけよ」  だが安堵する久那を、冷たい声がバッサリと切り裂く。 「未来視という力を持っていても、赤谷沙希は普通の女子高生と変わらない生活をしてきた。  長谷久那、あなたとは生きてきた世界が違う」  やわらかいのに冷たい声。  どんな言葉を発する時も温もりを失わなかった沙希とは、似ているようで似ていない。  声の主である鈴見綾は、唯一の出入り口の前に陣取っていた。  ゴシックワンピース調の仕事服と、ツインテールの先が、強い風にふわふわと揺れている。  その手には華奢な体に似つかない、大振りな薙刀が握られていた。  栗色の瞳は冷たく久那を睥睨しているのに、そこには確かに感情が宿っていた。 「感情よりも理性を優先させるっていうのはね、簡単にできるようでその実、とても難しいことなのよ」  宿っているのは、哀れみか、同情か。  見下しているようで、同等の位置で悲しんでいる。 「特に、ごく普通の、恋する女子高生にはね」
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