ー水底(みなぞこ)に沈めた華ー 

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 久那の足が沙希の足のすぐ先まで迫る。  沙希が体を引くと、背中がフェンスに当たった。  もう逃げ道なんてないのに、久那は腕を伸ばして沙希の顔の横のフェンスに指を絡ませ、二人の間に残ったわずかな距離までなくしてしまう。 「沙希」  突き離さなくてはならない。  分かっているのに、眼鏡越しに見える久那の瞳が沙希の最後の逃げ道を潰した。 「どうしてこんな嘘をついた?」  久那は決して表情を見せない。  幼い頃から付き合いのある沙希だって、久那の表情筋が動いたところは見たことがなかった。  それが情報屋として、一般人が決して関わることのないきな臭い世界に生きる長谷家の教育の賜物だということは知っている。  嬉しい時も悲しい時も、瞳を揺らすことさえしない。  未来を見知っているから、動かす必要を感じない。  幼稚園に通っていた時から、久那はそんな冷めた考え方をしていた。 「答えろ、沙希」  その久那が、今、瞳を揺らしていた。  苦しそうに、悲しそうに、苛立っているように。  ……初めて、揺れているのを、見た。 「……久那くんに、生きていてほしかったから」  誰にも突き崩せないと思っていた決意が、儚く崩れていく。  ああ、なんて自分は弱いんだろう。  そんなことを思ったら、涙がこぼれた。 「私から離れていてくれれば、生き延びられると思ったから……っ!!」 「沙希」 「私、死ぬの」  涙がとめどなく零れていく。  だけど、その言葉だけは震えることなく沙希の唇から出てきた。 「私は明日、死ぬの。殺されるの」  昔から不思議と、未来を告げる時だけは声が震えなかった。  それがどれだけ残酷な未来を予言する言葉でも。 「私の名前が、『リコリス』の片付け者リストに載ったの。  私は明日の夕方、『リコリス』の掃除人(そうじにん)である遠宮先輩と鈴見(すずみ)先輩によって片付けられる」
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