【第2話】若い男の匂い(無料)

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玄関のチャイムが鳴った。 倫子(のりこ)は、 一番苦手とする数学の宿題をやっていたところを邪魔されたので、 少し不機嫌にシャーペンを置き、時計を見た。 午後8時を少し回ったところだ。 高校生でありながら、 通学のためアパートで独り暮らしをする倫子は、 父親が使い古したパンツを母親から渡されていて、用心の為、 「いつもベランダに干しておきなさいね」 と言われているのだが、 その柄があまりにも派手で部屋の美観を損ねるため、 まだ一度もタンスから出していない。 父親からも、いざという時のために、 バットをプレゼントされたが、 一撃で相手を倒す方法をまだ教わっていないので、 これも押入れにしまったままだ。 しかし、もちろん倫子に警戒心がないわけではない。 普通独り暮らしの女性なら誰でもそうするように、 ドアには必ずチェーンを掛け、 たとえ昼間でも、チャイムが鳴ったからといって、 相手をちゃんと確認するまでは、ドアを開けることはない。 ただ倫子の場合、普通の人と少し違うのは、 ドアの隙間にほんの少し集中し、 そこから僅かに流れ込む訪問者の匂いを嗅ぎわけるだけで、 顔見知りかどうか、即座に判別することができる。 それだけではない。 どこかの国では、 患者の体臭を嗅ぐだけで、 患者の病気を診断出来る医者がいるらしいが、 倫子の場合、その匂いだけで、 ドアの向こうの訪問者の職業から精神状態まで、 嗅ぎ分けてしまう。 春が香るすきま風に混じって、 うっすらと汗ばむ若い男の匂いを、倫子は感じ取っていた。 「相原さん、いらっしゃいませんか?」 「はーい!どちら様ですか?」 返事をしながら、 倫子は目の前に、 ある風景を思い浮かべていた。 それは小学生の時、 社会科見学で丸ノ内の新聞社に行ったときの風景だった。 外に立つ若い男は新聞記者で、 しかも赤鉛筆の匂いが混じっていることから、 書いた原稿をいつも手直しされる新米記者であると、 倫子は確信した。
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