【第5話】チャーハンの匂い

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「六日の七時頃、 あの駐車場に車を入れて、 この店に寄った人物を探しているんです。 なんとかその日のこと、 思い出してもらえませんか?」 刑事に手帳を出すきっかけを与えてやらなければ、 失礼だ。 「なんか事件ですか?」 店主は、 男の内ポケットから出される黒い手帳を待った。 「この人の奥さんが轢き逃げされて。 私達、その車を追っているんです」 男は刑事ではなかった。 事件の被害者だという。 では、この女はいったい何者なんだろう? いくら警察が人手不足とはいえ、 こんなに若い刑事がいるわけがない。 私立探偵か? 二人の素性を知りたいのはやまやまだが、 そんな野暮なことを聞く奴は、 三流小説でも登場しない。 「何でもいいんです。 その日来た客のこと、 なにか思い出してもらえませんか?」 「六日の夕方ねぇ・・・」 人は誰でも、見たこと聞いたことを、 必ず記憶にとどめているという。 人並み外れた嗅覚を持つ倫子は、 過ぎた過去のある日の記憶を呼び起こすとき、 まずその日の匂いを見つけることで、 詳細にその記憶を辿ることができる。 倫子程ではないにしても、 このラーメン屋の店主に、 六日の夕方を思い出させるキーワードが、 なにかあるはずだ。 倫子は店内を見渡し、 古ぼけたテレビがナイターを映し出しているのを見つけた。 「ねえ宇崎さん。 あの日ナイターを見ていたんでしょう」 「ああ。 たしか巨人阪神で、 ドームだったかな」 「巨人阪神ですか」 「えーと、 たしか一回表に阪神がいきなり三点入れて」 初回に阪神が巨人に三点を先制するなど、 めったにない。 「ああ、あの試合ね! 思い出しましたよ。 巨人の先発がこてんぱんにやられて、 二回で降ろされた試合でしょ」 事件が起きたのは、 三回裏の巨人の攻撃を見ていた時だった。 それ以降、 宇崎は野球を一度も見ていない。 憎き犯人は、 毎年、シーズンがはじまるのを心待ちにしていた楽しみも、 宇崎から奪っていた。
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