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こちらを濃いクマのついた目でまじまじと見つめながら、しかし僕の怒りと直接対峙はせず、逼迫した状況に不釣り合いなあっけらかんとした口調でわざとらしく言う。
「知らないわけねえよなあ。だっておまえはオレなんだから」
「やめろ……っ!」
目を伏せる。瞬間、世界がぐらりと反転した。
僕は突き飛ばされ、積まれた洗濯物の山に背中から転ぶ。
「金髪の、あの大学祭実行委員長」
それだけの情報で、僕の頭にはたった一人の男の顔が浮かんでいた。
そんな僕の脳内をまるで読み取ったみたいに、僕に跨る男は言う。
「そう、そいつだよ。名前は知らない。教えてもらってないから。話したことはない。オレとは関係ない人間だから。でもオレは知ってる。そいつが『あの子』と前から仲が良かったことを。そして今は……」
「黙れって言ってんだよ!」
男を蹴り飛ばし逆に僕が男の上に跨る。
それでも男は喋るのをやめようとしない。むしろ虚ろな瞳に一層の狂気を宿して続けた。
「おまえが体も心もズタボロにしながら頑張っている間に『あの子』と『あいつ』はどこまでいったのかなあ? キスか前戯かセックスか」
怒りと悲しみと形容できない醜い感情とで頭がぐちゃぐちゃになって焦点を定めなくなった瞳はふいにすぐ横にあるキッチンの上で艶めかしく光る刃物を描写した。
僕は無心でそれを手に取り男の首筋に宛がう。
「気持ち悪いんだよ」
「見てくるなよ」
「殺すぞ」
「殺してみろよ」
銀色の輝きが心を狂わせる。どんな過ちも許される夢という舞台が、秘めてきた欲望を解放させる。
「殺すぞ」
包丁を振りかぶり、もう一度、僕は僕を見てそう言った。
僕はなにも言わず、ただ、ニィーっと不気味に笑った。
グサリ。胸に包丁を突き刺す。グサリ。腹に包丁を突き刺す。グサリ。腿に包丁を突き刺す。グサリ。肩に包丁を突き刺す。グサリ。腕に包丁を突き刺す。グサリ。額に包丁を突き刺す。グサリ。よくわからないけど突き刺す。グサリ。無心に突き刺す。グサリ。伝わる感触が心地よい。グサリ。気持ちいい。グサリ――グサリ――グサリ――グサリ――。
「…………」
――蛇口から落ちた一滴の水が、小さな部屋に不自然なほどよく響いた。
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