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「そんなバカな」
僕は明示できる理由もないまま衝動的に、洗面台にある鏡の前まで走る。積まれた洗濯物やコンビニ弁当の残骸を踏み潰して。精々二歩三歩の距離で息が切れた。
「そ、んな……」
鏡は僕の姿を写さなかった。
それがどういうことなのか。それがどういうわけなのか。これは一体……。
「……悪い夢だ」
「おいおい人にあくせく働かせといて『夢』はねえだろうよー、オレ。そりゃあ雇用取締法的にどうなのよ」
後ろで調子のいい声がする。見れば僕の嘲笑を含んだ呟きを耳敏く拾った〝そいつ〟が椅子と一緒にクルクル回りながら気怠そうに僕の家の天井を仰いでいる。
「そんなに夢オチがお好みなら、ホレ」
〝そいつ〟は偉そうに顎でキッチンを指す。
「確かめる方法が剥き出しでぎらついてるぜ」
キッチンにはしまったはずの包丁が剥き身になって用意されていた。まな板はない。ステンレスでできたキッチンの上で銀色の刃が怪しくギロリと光っている。
酷く甘美な誘惑に思えた。
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