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「随分高価な香水だわ。
若い女の子がつけるものじゃないわね。
きっと四十そこそこの女性じゃないかしら?」
数十メートル離れた車の中から排気される空気を嗅ぎ取って、
倫子は運転席に座る女性の歳まで、
特定している。
「どういうことだい?
あのラーメン屋は、
若い男だって言ってたじゃないか!」
倫子に声を荒らげたところで、
どうにかなるものでもなかったが、
犯人への憎悪が全身にみなぎっている宇崎は、
思わず怒鳴ってしまった。
とその時、
倫子と宇崎のうしろで、
「ガチャン!」
と大きな音がした。
宇崎は、
妻が轢き逃げされた時の忌まわしい音がよみがえり、
そばに立つ倫子を無意識に抱き寄せ、
身を挺してかばっていた。
ほんの数秒の出来事だったにちがいない、
宇崎は一瞬、
腕の中でおびえる女が、
愛する妻だと錯覚した。
しかし、その間違いにすぐ気がつくと、
宇崎は目にいっぱいの涙が溢れてきた。
あの時、
自分はなぜ、
妻を守ってやれなかったのだろう。
犯人を憎むあまり、
いままで一度も考えた事はなかったが、
宇崎はあの時、
なにがあっても、
妻を守らなければいけなかったのだ。
たとえそれが、
数百メートル離れた、
買い物途中の妻であったとしても・・・。
「お願い。
自分を責めないで・・・」
深い後悔の匂いを感じとった倫子は、
宇崎の胸に顔をうずめたまま、
強く抱きしめ慰めた。
宇崎の涙の匂いを感じたのは、
これで何度目だろう、
いままでで一番苦く、
つらい涙だった。
「大丈夫ですか?お怪我は?」
女の声で我にかえった宇崎は、
声の主を探して回りを見渡した。
するとタクシーの運転手遠藤と、
石垣塀の門の玄関を覗き込んでいる、
黒いシックな洋服を着こなす女性が目に入った。
そしてなんと、
ふたりが覗き込むその石垣塀の門には、
遠藤の車が、
後ろ向きにめりこんでいるではないか。
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