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月は見ていました。窓際に置かれたマグカップが怒っていました。
「せっかく温かいコーヒーを入れてくれたのに、ずっと放っておかれて寒いったらありゃしない。すっかり冷えてしまった」
月が話しかけました。窓は優しく笑っていました。
「マグカップさん、人間というものは忘れっぽいものです。でもきっと思い出すに違いありません。その時にまたもっと熱いコーヒーを入れてくれるでしょう。安心なさいな、あなたは素から温かい心の持ち主なのですよ」
月は見ていました。屋根の上にはどこから飛んできたのか、ライブのチラシがありました。チラシが悔しそうに独り言を言っていました。
「僕は何の役にもたっていないじゃないか。みんなはたくさんの人の目に触れて、ポケットや鞄に入れてもらって嬉しそうにしているのに。どうしてこの僕はこんな屋根で風に震えているんだろう」
月が話しかけました。
「チラシさん、誰が悪いというわけではありません。昔のことは忘れて、空を見上げてご覧なさい。きっと楽しくなってくるはずですよ。私もいますし、星たちもいます。みんなあなたを見ていますよ。明日の夜がライブなのですね。星たちと一緒に観に行ってみましょう」
月は見ていました。翌朝のことです。マグカップを取りにきた少女は冷たくなったコーヒーを捨てて、そこにミルクたっぷりの熱いココアを注ぎ入れました。マグカップの嬉しそうな顔ったらありません。思ったよりずいぶんと熱いのでしょう。少女は少しずつ飲みました
スプーンが少女に聞こえないくらい小さな声でマグカップに言いました。
「よかったね。元気になったね」
月はもうだいぶ朝になりましたので、白くなって空の向こうに消えていきました。チラシは風に吹かれながら、空を見上げていました。
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