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そう吐き捨てた男は戸口に立つ母を横目で睨みつけ、後ろに控えていた俺の肩にわざとぶつかりながら大股で去って行った。その後ろ姿を俺は暫く睨みつけていた。
『はじめくん……』
『……』
なんと、なんと卑しい男だろうか!
これ程までに不愉快な気持ちにさせられるとは!
たとえ旗本に仕える身だとしても、後妻として嫁ぐ千歳の身の上を考えたりしないのか。挙げ句には、父上に対して、我が家に対して脅しをかけてきた。
そして千歳は、千歳は父上を案じて自ら犠牲になったなど……。
今となってはその犠牲などなんの意味も為さないのに───こんなの到底許し難い。
『……父上』
『一、止しなさい。感情に流されて、今まで鍛え上げてきた剣術を無駄にする気か』
『ですが──』
『こちらにも考えがある。今はその時ではない』
今すぐにでもあの男を追い掛け、千歳の居場所を吐くまで、いやそれ以上に痛めつけてやりたかった。抑えろと言われたその感情に、思わず拳を力いっぱい握ると、爪が食い込んで鬱血し、爪の跡がくっきりついた。
『はじめくん……』
それを見ていた宗次郎は、俺の手を両手でしっかり包み込み、ただ静かに目を瞑って首を横に振った。
自分が少し恐ろしかった。
こんなにも怒りを抱え、衝動的に体が動いてしまいそうになることに。もしかすると、本当に自分は人を殺してしまうのではないかと。
『父上、これからどうすればいいですか? 考えがあると言いましたが、千歳を救う術など……』
『兎に角、ここで話すのもなんだから家に上がりなさい』
そう促されて、母上と宗次郎と三人で家に上がった。宗次郎は父上から試衛館の者かと訊ねられて、そうだと答えると一緒に座りなさいと言われその場に座した。
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