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玲子さんが大量のフィルムを持ってきたのは、
すべて片づけてしまったあとのことだった。
廃液を処分し、バットを洗い、
乾燥器のスイッチを切る。
やるべきことをすべてやり終えたあとで、
部屋の明かりを消したまま、
インスタントの薄いコーヒーを飲んでいた。
朝の喧騒をやりすごしたあと、
久々に自分の部屋へ帰るつもりだった。
朝のまぶしい光のなかで、ひさしぶりに会った玲子さんは、
すこし疲れて見えた。
けれども、昔、女優をしていた名残は十分にあって、
ひっそりとしていながら目立つたたずまいだった。
そこだけ空気が湿り気を帯びているような感じ。
「もう、帰るの?」
声までがしっとりとしていて、僕はこの人に会うと
無意味に緊張してしまう。
頬すら赤くなる。
憧れの教師に質問をしにいく、中学生みたいに。
「あと、一時間くらいで帰ろうとは思っていましたけど」
目を合わせられないまま、僕は玲子さんを
スタジオの応接セットに促した。
電気をつけると、眩しそうに瞬いた。
「あなたも暗い方が落ち着くのね」
ひとりごとじみた言葉の意味は、
コーヒーを彼女の前に差し出したときに気づく。
「あなたも」の「も」は、彼女の夫、
長塚了一のことを差しているのだろう。
たしかに暗くした部屋のなか、
僕と長塚先生は、黙ってコーヒーを飲んでいた。
あるいはぽつぽつと話をしながら。
「暗いのが落ち着くというよりは、
慣れていると言ったほうが正しいかもしれません」
タイミングのはずれた僕の答えに、
彼女は訊き返すこともせず「そうなの」と、
やはりしっとりとした笑みを頬に浮かべて、
コーヒーカップを手にした。
嚥下する細く白い喉元に深い皺がある。
蛍光灯の白々しい明かりのなかでは
彼女の歳相応の衰えが明らかになって、僕はすこし安堵した。
彼女が静かに飲んでいる間に、横に置かれていた
大きめの風呂敷包みに気づいた。
それに気づかないくらい、緊張していたということだろう。
僕の視線に促されるように、
彼女は包みの中身をガラステーブルに置いた。
白い箱。
六つ切りの印画紙を入れるためのものだ。
蓋は僕が開けた。
中からはぎっしりとつまった三十五ミリの
カラーフィルムが出てきた。
「これは」
「この前、了一の部屋を整理したら出てきたの」
「これが……」
僕の疑わしい声音を、彼女は聞き取ったのだろう。
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