第3話

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 朝食兼昼食を綺麗に平らげ、身なりを整えてから、俺は大学へと自転車を走らせた。  学舎までは約25分。住宅地を抜け町の中心部へ向かう、人も建物も徐々に混み入っていくコース。  気持ちよく晴れ切った五月の空の下、心地好い涼風を贅沢に浴びつつカーッと自転車を漕いでいると、身体も自ずと軽くなっていく気がした。  駐輪場の中程に愛車を停め、講義室に直行する。  床がスロープになっている、百人ほどを収容可能な中程度の大きさの部屋だ。  既に席の大半は埋まっていた。だけどどういうわけか、いつもなら並んで講義を受ける友人が、今日は2人とも見当たらない。  携帯を確認してみると、一方からはメールが届いていた。  寝坊した、次の講義の予習終わってないから行かねーわ、プリント頼む、とのこと。  りょーかい、と手早く返信し、俺は教室の後ろに突っ立ったまま、手頃な席を探す。  自由奔放に交わされる声、声、声。不意に、その中の一つが自分の名を呼ぶのを聞いた気がして――視線を巡らすと、こちらを向いて手を挙げる男がいる。  見覚えがあった。確か、クラスが一緒だったはず。  軽く手を挙げて応じながら歩みより、隣の席に腰を落ち着けた。 「おはよう」  彼は鈴の音に似た声で言って、眼鏡の奥の目を細めた。  線が細く、中性的な顔立ちをした優男だ。 「おはよ、えっと、……ごめん、何君だっけ?」 「槙田だよ。槙田梓」 「まきた、君」 「あれ、ひょっとして丸っきり覚えてなかったりする? ホームルームの時ちょろっと話したのとか」 「や、それは覚えてるんだけど……人の名前覚えんの苦手でさ」  俺は誤魔化し笑いを浮かべる。我ながら呆れてしまうほど、ありきたりな言い訳だ。  失礼極まりない発言をぶちかましたにもかかわらず、苦笑する彼の目は相変わらず優しげだった。罪悪感がちくりと胸を刺す。  幸いなことに、そこで初老の教授が室内に入ってきた。  周囲のざわめきがトーンを落とし、俺達も揃って視線を前へ投じた。
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