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閑静な住宅街の一画にひっそりと収まる、鉄骨造りの無骨なアパート。その二階の左端が我が家だ。
部屋の前で立ち止まった俺は、うすぼんやりとした外灯の下、背後の空を仰いだ。
今日は三日月。白く照る鋭利な弧が、晴れ渡った空にポツリと浮かんでいる。
ーー月と言えば、かぐや姫だろ。
彼と初めてちゃんと話したときーー高校2年の秋に、自分が口にした台詞を思い出す。
あの時はまさか、ほんの一年と半年後に、彼と一つ屋根の下暮らすほどの仲になるとは思ってもいなかった。
ふう、と一つ息を吐き、ポケットを探り鍵を取り出す。
扉を開ければ柑橘系のいかにも爽やかな香りと、居間から漏れる明かりが、
「……あれ?」
暗い。それに、静かだった。
外灯が点いていたから、当然帰っているものだと思ったのに。首をかしげつつ玄関に踏み込む。
「いないの? か、」
と。唐突に明かりが点いた。
びくりと身を縮め、俺はその場に立ち竦む。
かささと何かが密やかにうごめく気配がしーー俺の驚きがすっかり辟易に変わる程度の沈黙を置いて、同居人が顔を覗かせた。
同居人ーー月野宏(つきのひろ)は、長身痩躯の男前だ。すれ違えば十人が十人、とまではいかなくても八人くらいは振り返るような綺麗な顔立ちをしてる。
他人を寄せ付けないようなクールな印象で、同性からすれば、そう、ちょっといけすかない感じの。
「えっと……ただいま」
「お、かえ、り」
そんないい男が、声を震わせている。
身体も微かに震えている。
「あの……ごめん、俺、今まで寝てた。飯……当番なのに、準備とかも出来てなくて、ごめん」
早口で、途切れ途切れに、ぼそぼそと。容姿の洗練された雰囲気とは裏腹に、彼は基本的に人見知りだ。
とはいえ、普段はここまで酷くない。
「………………ちょっと、買ってくる」
消え入りそうな声で口実を告げて、彼は再び死角に引っ込んだ。
あのあからさまな動転っぷり。長い睫毛に隠れて遠目には分からなかったが、恐らく。
ーーまたか。
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